アンパンマンを子供にみせたくない親が結構いるという話
何年か前の話だが、twitterのTL上でちょっと気になる投稿を目にした。
日本のアニメは世界中で評価されているのにアンパンマンが海外でウケないのは暴力で物事を解決するからだと。それから顔をちぎって食べさせるのも生理的に嫌悪感を感じる人もいるらしい。
この意見に納得したわけではないが、なるほどそういう見方もあるんだなと少し驚いた記憶がある。
それから数年、私にも息子ができてテレビでアンパンマンを観るようになった。2歳になった今では1日に100回は「アンパンチ」を唱え私の顔をぽこぽこ叩く。やめろと怒っても優しく言い聞かせてもなかなか直らない。まさか保育園でよその子を叩いていたりしないだろうかと不安になった。
そんな時、あのツイートを思い出したのだ。もしかしてアンパンマンを嫌う人って一定数いるんじゃないだろうかと。
「アンパンマン 暴力」で検索してみた。
多くの小さい子供にとってアンパンマンは最初に出会う正義のヒーローだ。その影響力は絶大で、アンパンチをマネしない男の子は少ないのではないだろうか。ネットではアンパンマンを批判的にとらえている人はやはり小さな子供をもつ親が多いようだが、そうでない人の中にも「ばいきんまんがかわいそう」とか「悪いヤツを排除しようとするのはいじめの構図と同じ」というような意見もみられた。
一方でそれに反対する意見としては「ばいきんまんが攻撃をしかけてきているので正当防衛」「力のない正義なんて無意味」など、まるで憲法九条改正案に関する議論のようw。攻撃的で意味のない反論ばかり目についた。
海外のことは知らんが、日本で子供を育てると嫌でもアンパンマンに触れる機会はある。家でアンパンマンを見せないようにしても幼稚園や保育園では必ずと言っていいほどアンパンマンのキャラクターを使って遊ばせている。この問題は多くの親が一度は通るものだと思うのだ。
ネットのコメントなんて(特にまとめ記事は)極端なものばかりなのはわかっているがそれにしてもすっきりする意見が一つも見当たらないのは何故なんだろう。そう思っていたところ、とてもすっきり納得のいく意見をみつけた。
以下引用
上の娘がアンパンマンに没頭するようになり、絵本も楽しむようになるにはどうすればいいかと考えるようになったころ、相沢康夫氏の「好きッ!絵本とおもちゃの日々」という本(マンガ)を知った。その中に著者の「知育玩具」に対する考え方が書かれていて、なるほどと思ったものだった。わたしなりの言葉で書くと、おもちゃはまず楽しんであそぶためのものであって、それであそんでいるうちに何かが身に付くといった大人の視点からの貧乏くさい了見は捨てるべきだ、ということになる。そして同じことはおもちゃだけでなく、子どもが見聞きするもの一般についても言えることなのかもしれない、いや、子どもの時代はしっかりあそんで、その次の時代からしっかり学ぶというようなことでもいいのかもしれない。そんなことを考えさせてくれたのだった。
アンパンマンが子供の教育的にいいか悪いかはどっちでもいいのだ。
子供番組が必ずしも道徳を教えるためのものである必要はないと思う。私は子供が楽しんでいるのを取り上げて親の都合のいいものだけを与えるようなことはしたくない。暴力が悪いことだということは親が教えればいい。むしろ良い機会になるんじゃないだろうか。
蛇足。
実は私は仕事の関係で、10年くらい前にアンパンマンをたくさん見たことがある。
そのころはアニメのアンパンマンを100本近く観たと思う。10本くらいぶっ続けで観るってのを何日もかけてやってた。
さて、こうしてアンパンマンを立て続けに観ていた私は、割と早い段階でストーリーを追うのはやめていたと思う。毎回同じような展開だし。ところが、たまーに入ってくるんですよ。大人の私が流し見をしながらでも引き込まれてしまうような展開の話が。詳しい話の内容は忘れた。ばいきんまんがアンパンマンを助ける話だったと思う。
(検索するといくつか出てきた。動画が観れないので私が観たヤツがどれかはわからない。)
この話のばいきんまんがたまらん!というお話がありましたら教えて下さい。
この「たまーに」良い話が出てくるっていうのがバランスいいんだと思う。毎回予定調和のように同じ展開をみせているので、「たまーに」違った話が効果的なのだ。話を理解できない幼い子供でも、あれ?いつもと違うなというのはきっと感じられる。すぐに忘れてしまうだろうが、子供の中にもきっと何かが残るだろう。大人になって見返した時に、ハッとさせられるだろう。子供番組に何か役割があるとしたら、その程度で充分だと思うのだ。
何かいまいちよくわからない結論になってしまった。別にアンパンマンをみせたくない親を批判したいわけじゃないです。