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こうの史代「ぼおるぺん古事記」がすごい

 

はじめてブログというものを書いてみます。

よろしくお願いします。

 

私、古事記がすきなんですが、こうの史代の漫画「ぼおるぺん古事記」が非常に面白かった。

 

古事記を読んだことのない人のために、簡単に。

「八岐大蛇」や「因幡の白兎」「海幸彦 山幸彦」など昔話には触れたことのある人も多いだろうが、古事記を通して読んだことのある人となると結構限られるか。

日本最古の歴史書で、たくさんの神様が天や黄泉の国や海の中を行き来して怪物を倒したり暴れたり殺し合ったり愛し合ったりして日本という国ができましたというツッコミどころ満載のとんでもないお話。

(余談だが、冒頭の混沌から天地が作られる話やすごく下世話でわがままな神々って点でギリシャ神話にすごく似ていると思った。所詮人間なんてどこの国にいても同じようなことを考えているってことなのかな。)

古事記日本書紀とともに700年代前半に書かれている。

天皇家の神格化を目的として編纂されたものだが、天皇家と藤原氏の政治的な思惑が色濃く盛り込まれた“記録”としての日本書紀に対し、文学的な表現の多い古事記は「これホントに天皇のために書かれた文章か?」と思わせるほど泥臭く人間臭い、愛憎や嫉妬にまみれた弱くも愛すべき神々が描かれている。(さも知った風に書いているが、日本書紀は読んでいない)

 

古事記は各地に伝わる伝承・民話をくっつけて一本にまとめたものであるためか、設定や人名(神名)に一貫性が無い。 

名前は非常に長くいくつもあって、表記のしかたも突然変わる。

話は唐突に始まってあっさり終わる。

数えきれないほどの神々がお経のように羅列され、ほとんどキャラが掘り下げられずに話だけが淡々と進んでいく。

さらにいちいち長い尊敬語や枕詞がこれでもかとくっついて、読みづらさに輪をかけている。

こうの史代はあとがきにこんな言葉を。

 

初めて見た原文は、「記す」喜びにあふれていました。漫画になるのを待っている! と感じました。

 だって、漫画にはサイレントという絵のみで展開させる手法があるのです。文字を使わず意味を伝えられるのだから、古文がついたからって読めなくなるはずがないのです。

 

実際に読み終えて、サイレントをとても効果的に使った素晴らしい漫画だと思う。

文字表記に関しては原文の訓み下しをそのまま採用していて(注釈はあり)この点では一切演出を加えていない。それがより一層作者の表現力の非凡さを際立たせている。

こうの史代がすごいのは行間の描きかただ。

古事記原文は奇想天外な話をかなり早いテンポで淡々と描いていて、単純に文章を追っていると登場人(神)物の感情の部分は見えてこない。読み手の想像に委ねる部分が大きいというのが昔話の魅力なのだが、想像力の乏しい私には今一つピンとこないシーンは多い。こうの史代が絵をあてると、それは豊かな情感に溢れ、個性的なキャラクターが活き活きと輝きだすのだ。

古事記はこの絵をもって完成形なのではないんですかねと思ったり。

 

 

 

 

では実際、自分がすごいなと思ったシーンをいくつか。

 

 

水蛭子(ヒルコ)かわいすぎ。

 

 イザナギ・イザナミに最初にできた子が水蛭子(ヒルコ:ヒルのように骨のない出来損ないの子ども)だったという場面。

原文にはできた子は水蛭子だったので葦船に乗せて流したとしか書かれていない。

作者があてた画もまさしくその通りなのだが、この水蛭子、可愛くてたまらない。

遠くで独り釣竿たらしてる水蛭子が気になってしょうがない。

かといって話の本筋には関わってこないので意味深に描くこと無く、あくまで原文を崩さない。

 

天照大御神(アマテラスオオミカミ)が真ん丸顔の二等身キャラ。

 古事記関連本にしろファンタジー系ゲームにしろ、大概のメディアで超絶美人として描かれるアマテラス(天皇家の祖神で高天原を統べるすごく偉い人)がおでこピカッと光るほど丸い。このビジュアルにはかなり驚かされた。でもよく考えてみると、確かに原文には美しいなんてどこにも書いてないし、わがままで独りよがりなイメージは合っている気がする。

 

その二十二「さるさる」 役目を終えたサルタヒコをウズメが送っていく場面。

 ここではサルタヒコが海で大きな貝に手を挟まれて溺れかける話が出てくる。このときに漫画ではウズメがそばに付き添っていてどうにか助けようとする様子が描かれている。つまり送る途中の話として描かれているのだ。私は古事記の現代語訳や解説本を何冊か読んでいるが、どうやらこの話は過去にあった出来事の紹介と解釈している本が多い。そういう意味ではここにウズメがいるのは本来はおかしいように思う。注釈でも何も触れていないが、作者がそれを知らないわけはないだろう。

この話は古事記の中でも浮いているというか、とってつけたような感じがある。私はずっとこの話は無くてもいいんじゃないかと思っていたのだが、漫画を読んで考えは変わった。ウズメもサルタヒコもとても魅力的なキャラとなり、この第二十二話は個人的に大好きな話となった。

しかも三巻目「海の巻」の表紙(帯)がウズメだし。この人選にも驚いたね。

 

サブタイトル

各話のサブタイトルには「あなにやしあなにやし」「ちわきちわき」「ことごと」などすべてくりかえしの言葉がつけられている。

これは原文に実際でてくる言葉(反復語じゃないのもあるけど)で、それぞれの話をうまく一言であらわしたとても面白い小見出しだと思う。

古事記にはこういった韻をふむような言葉使いや、会話のなかで相手と同じ台詞を繰り返すなどリズミカルな表現が多数みられるが、これは古事記がもともと口承によって代々伝わってきた話を文字におこしたもので、口語意識の強い文章だからだそうだ。

このへんは三浦佑之氏の「口語訳 古事記」が面白い。

 

挙げればきりがないのでこのくらいにしておくが、余裕のある人は原文を読んでからこの漫画を読むとその凄さがよくわかると思う。古事記を読んで途中で挫折した人は、この漫画を読んでからもう一度原文を読むとより一層理解が深まるはず(私がそうなので)。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにこの漫画はweb連載されていたものらしく、終盤の話は平凡社のサイトで今でも(13年04月現在)読める。

実はこのサイト自体、私はつい最近知ったのだが、連載当時のコメントがページごとに書いてあって(単行本にはない)紙で読んだ人にも興味深いものだった。

 

また、新刊展望という雑誌での対談でもなかなか面白い話をしているのだが、途中で切られていてひっくり返った。

むむう続き読むために金を出そうか考え中。

 

 

 

 

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