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大奥12巻まとめと13巻予想

11巻の巻末にある次巻予告をみて12巻の展開予想をするも大きくハズレ。

manjutaro.hatenablog.com

 

黒木の「天文方…」というセリフからシーボルト事件に絡んでくると予想したのだが、いやー、まさかたった一コマで済まされるとは。しかも黒バックにナレーション処理。

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こりずに今回も予想してみる。
その前に12巻の予想のおさらい。ネタバレ注意。

 


予想とは違う形であったが、高橋景保は登場している。

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伊能忠敬の死後、その測量を元に「大日本沿海輿地全図」を完成させた人物。その地図があまりに正確で、国防のために国外持ち出しは禁止された。
作中でも触れているように樺太の地図が必要と考えた景保は、日本の地図と引き換えにシーボルトから樺太の地図を手に入れる。しかしシーボルトが日本の地図を国外に持ち出そうとしたことが発覚し、景保は投獄される。翌年獄死するが、その遺体は塩漬けにされ、後日引き出されて斬首に。
国の将来を見据えた高橋景保に対するこの手厳しい処罰、漫画の題材として面白いのではと思ったが、本筋と外れるせいか一切描かれることはなかった。
それどころか、「シーボルト事件の責を免れた伊東玄朴がお玉ヶ池種痘所をつくって種痘を成功させる」なんてもっともらしい予想をしておきながら、伊東玄朴の名前すら出てこない始末。
というわけで、私の予想はカスリもしなかったわけだが、どうやらこの12巻は歴史の表舞台から離れたかなりオリジナル要素を盛り込んだ話が主となったようだ。

やはりこの巻で目を引くのは、治済への復讐を目論む二人の女性。

f:id:manjutaro:20150920113052j:plain徳川治済(注:家重ではありません)

長きにわたって将軍 家斉をも騙し続ける女の恐ろしさ。黒木たちの積年の夢であり、この漫画の主題であった赤面疱瘡克服の達成が霞んでしまうほどの衝撃であった。
大奥総取締 滝沢(お志賀)はほぼ創作といえるだろうか。
この時代、大奥で力を持っていたのはお志賀ではないようだ。
また、家斉の正室(御台所)茂姫に関しても、その子 敦之助亡き後に気が触れたという記録はないようで、このエピソードは完全に創作だと思われる。

ちなみにこの御台所 茂姫、最初の名を篤姫といい、のちに13代将軍 家定の正室となる天璋院の「篤姫」はその名をあやかってつけられたものだそう。
病弱で子供のいない家定に嫁がせることを前提に、子だくさんの家斉に嫁いだ女の名前をあやかったわけだが、この時代、人の名前って簡単にかえさせられるものなんだな。

f:id:manjutaro:20150920113343j:plain注:家重ではありません


さてでは、その家定の時代となる次巻、13巻の予想をしてみよう。
12巻のラストで十三代将軍 家定は女性として描かれている。
家定のウィキを見てみる。痘瘡を患ったため顔には痘瘡痕が残っていたと。ほほう。しかし漫画ではやたら美人に描かれており、キレイな顔で登場している。このへんを関連付けるつもりはないんだろうか。

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次巻予告には老中首座の阿部正弘が女として登場。「そして、正弘が出会った人物はー!?」のあおり文句で締められている。

f:id:manjutaro:20150920113633j:plain男で美しい者?

将軍が女ということは、大奥に入るのは男。そしてこの時代、大奥で重要な人物となるのは篤姫しかいないと思われる。
しかし篤姫は美しい人だったのだろうか。うーむ。

さておき、家定や阿部正弘が女だということは、ペリーやハリスに謁見する時に、これまでひた隠しにしてきたこの国の事情が外国に知れ渡るということだ。この漫画はあくまで歴史を改変しないように描かれてきており、現代の歴史の教科書に載っていることを崩さないように非常に丁寧に工夫されている。

ハリスの日記、Wikipedia引用。

アメリカ公使ハリスの日記によると、言葉を発する前に頭を後方に反らし、足を踏み鳴らすという行動を取ったとある。これは脳性麻痺の典型的な症状と言われる。

家斉の代で男に戻した将軍を、わざわざ再び女にしたのはこのためじゃないかと思うのだ。

つまりハリスと謁見するのは女将軍 家定ではなく、正室となった篤姫(男)が将軍役を担うのではないかと。
将軍のフリをしてハリスと顔を合わせた篤姫(男)が、後ろに控える阿部正弘(女)と言葉を交わさずに意思疎通を図ったことにハリスは気づかない。結果、不自然な態度として日記に残されたー という予想をたててみる。

薩摩島津家から輿入りした篤姫は、家定の死後、落飾し天璋院と名乗る。結婚生活はわずか1年9ヶ月。幕末の動乱の中、将軍家の敵となる薩摩を省みることなく徳川の人間として振る舞う天璋院。明治16年、49歳で亡くなる天璋院の生涯を持ってこの「大奥」という物語が締められるのではないだろうか。

という戯言でした。