饅頭こわい お茶こわい

本好きのただの日記。こわいこわいで食べ放題。

よしながふみ「大奥」で描かれる事件は史実通りなのか?比較してみた

前回、「大奥」11巻までのあらすじを書いて、だいたい流れがつかめたので、これからようやく本当に書きたかったことを書く。つまりは前回のは前置きです。
私が知りたかったのは、この漫画に描かれている人物や事件のうち、どこまでが史実通りで、どこからがオリジナル要素なのかってこと。
で、苦労して調べた結果、ちょっと歴史の勉強くさくなってしまったが、まあ興味のある人は読んでみてください。
念のため断っておくが、素人がネットで調べただけなので歴史資料としての価値はありませんよと。




鎖国に至った経緯

作中では男子の数が激減したことを諸外国に隠すために国を閉じたとしている。
春日局が語る表向きの理由はこれ。「表向きは貿易による利益のご公儀による独占とでもしておけばよい」たった一言で済ませているが、この物語上はこれで充分だと思う。

そもそも本来 “鎖国” という言葉はこの時代には使われていない。作中では長崎にしか触れていないが、実際には松前藩アイヌと、対馬藩は朝鮮と、薩摩藩琉球王国と交易している。決して幕府が独占していたわけではないが、管理・統制しようとしていたのは本当のようだ。理由はキリスト教の弾圧。織田信長の時代、南蛮との交易は盛んに行われたが、ポルトガルやスペイン(カトリック国)の布教活動は植民地政策の第一歩だった。要するに日本を侵略するために来てたわけ。実際多くの日本人が奴隷として海外に売られている。秀吉がキリスト教を禁止して江戸幕府もそれを引き継いだ。経済活動と布教を分けて考えていたオランダやイギリス(プロテスタント)との貿易は禁止されていない。

この物語ではキリスト教弾圧の話はあまり関係無いため簡単な理由で片付いたのか。




生類憐れみの令

作中で、家光(女)の側室 玉栄(お玉の方 後の桂昌院)は大奥入りする前に、ある僧侶 隆光に「いずれ天下人の父になる相が出ている」と言われる。生まれた子が綱吉(女)。綱吉はなかなか世継ぎができず、心配した桂昌院はあの僧侶に会いに行く。護国寺だけで足りぬならあなたのためにもっと大きい寺院を建ててもいいという桂昌院に対し、僧侶は、世継ぎが生まれぬのは、あなたが若い頃に行った殺生のためだと言う。思い浮かんだのは若かりし頃に殺した猫のこと。それは心から慕う有功のためであったのだが…。

生き物を大切にしなさい。綱吉公は戌年なので特に犬を大事にした方がいい。僧侶の言葉に強いプレッシャーを感じる桂昌院。そして父の無茶な言葉に逆らえない綱吉。

f:id:manjutaro:20150404173253j:plain

護国寺で足りぬならと頭を下げる桂昌院


この話は漫画の設定に沿うように細かい部分をいじってはいるが、概ね実際の逸話通りに描かれている。僧侶のモデルとなったのは、桂昌院(お玉の方)に男子が生まれることを予言して護国寺の開山となる亮賢。そしてもう一人、生類憐れみの令を出すきっかけを作った護持院 隆光。この二人の役を一人に担わせたのはおそらく予言キャラとしてかぶっているからだと思われる。この逸話がどこまで本当かは分からないが、生類憐れみの令が悪政だとボロクソに批判されたというのは私が子供のころは常識だった。が、近年の評価は多少違うようだ。これは元々は人間を含む全ての動物を大切にしましょうというもの。当時頻繁にあった捨て子や姥捨て、また太平の世になったにもかかわらず簡単に暴力にうったえる輩が多かったことを鑑みて、国民のモラルの向上を目的としたものだそうだ。実際、治安は格段に良くなってかなり評価もされていたようだが、しだいに極端に厳しい令も発布されるようになる。釣りをしちゃだめとか。町に野犬があふれ人を噛み殺すこともあったため、収容する小屋をつくったが餌代がかなり財政を圧迫した、などは批判もやむなしか。いくらなんでも蚊を殺して周りの人が青ざめるなんてことはなかったと思うが。

f:id:manjutaro:20150404173936j:plain





赤穂浪士事件

浅野内匠頭の松の廊下での刃傷事件を発端にした復讐劇。よく一般的に知られる勧善懲悪の物語は、人形浄瑠璃「仮名手本 忠臣蔵」が人気を博して広まったものらしい。以降さまざまな形で劇化され、まるでそれが史実かのように広まった。

争点になるのは浅野内匠頭吉良上野介への「遺恨あり」の部分。これが刃を向けるに正当なものであったかどうかが肝心なのだが記録として残ってはいない。なぜ記録として残っていないのか。単なる浅野の乱心であったのか、記録が消されたか。

幕府の裁定はあくまで “殿中での抜刀” 自体への処罰であって、これは死罪を免れない。喧嘩両成敗を訴える赤穂藩だがそもそも浅野が背後から一方的に斬りつけたのであり吉良は抜刀すらしていない。この討ち入りは一般的に仇討ちという表現がされるが吉良が浅野を死罪に追い込んだわけでもないし、浅野は遺る家臣に打倒吉良を託したわけでもない。四十七士は切腹となるが、やはり本来は打首獄門になってもおかしくないように思える。それだけ当時は赤穂浪士のしたことが支持されたということか。

この漫画で面白いのは吉良(女)に「浅野や大石がもし女であったなら決してこんな事には…」と語らせていること。そして以降、綱吉(女)は武家の跡目を男子が継ぐことを禁止していること。漫画の設定にうまいこと繋がっているな。




側用人 柳沢吉保

気になったのは柳沢吉保(女)と桂昌院(男)との関係。そして吉保が綱吉を殺害するシーン。

作中では愛人だった二人の関係を綱吉が知ってしまい、吉保に詰め寄る様子が描かれている。綱吉のそばにずっと居たかっただけだという吉保に、決して裏切るなと刃を突き立てる綱吉。そして後に、綱吉への想いの強さからか、殺害に及ぶ吉保。

この話、元ネタを探してみたが見つからなかった。ここは完全な創作なんだろうか。しかしこの柳沢吉保という人物、調べてみてもあまり出世欲がありそうな気がしない。大老格にまで上り詰めながら、綱吉の死後、将軍の代替わりとともに自ら役職を退いている。高い能力がありながら決して主君には逆らわず、ただひたすら綱吉を慕い続けた人だったのだろうか。個人的にこの演出はすごく印象に残っている。

f:id:manjutaro:20150404174648j:plain

f:id:manjutaro:20150404174721j:plain

f:id:manjutaro:20150404174804j:plain





男っぽい名前の女

綱吉の時代に側室として次々と京都から呼び寄せられた右衛門佐(えもんのすけ)や大典侍(おおすけ)新典侍(しんすけ)の名前。作中では男性。これらは当然実際には女性なのだが、てっきり男名に合うように改変されたものだと思っていた。しかし実際その名で通っていたそうな。「右衛門佐(えもんのすけ)」も「典侍(ないしのすけ)」も官職の一つらしい。




江島生島事件

作中で月光院(男)は登場時点(大奥入りする前)から「左京」と呼ばれているが、これは局としての名なので後に与えられたもの。母との相姦関係など、間部詮房(女)に見出され大奥入りする背景が丁寧に描かれているがこの辺は完全な創作か。しかしよしながふみは、この創作部分がすばらしく面白いわけさ。このへんの左京が間部詮房に惚れていく様がきちんと描かれた上で後の話に繋がっていくあたり、ホント一切無駄がない。
左京は顔はいいが、未練がましく間部を想い続ける健気で涙ぐましいただの摩羅。対する江島(男)は見た目は悪いが大変な人格者で色恋に縁のない人生を送ってきたがゆえ、生島新五郎(女)との出会いが強烈な印象をもって描かれる。この漫画では江島は熊のように毛むくじゃらで外見に強いコンプレックスを持つ男。しかし大概の歌舞伎や時代劇では美女として描かれることが多いようだ。なぜこの漫画では不細工な顔にしたのだろう。作中、遠流刑となり幽閉された江島。彼の外見を知らない民衆が噂をしているシーンで、どんな色男なのかしらみたいな会話が見られる。噂には尾ひれがつくもんですよってことかな。「演芸ではたいてい美女として描かれてるけど、真実はこうだったのよ」みたいな演出で面白い。まあ、深読みがすぎるかもしれんが。

f:id:manjutaro:20150404175827j:plain


ちなみに「大奥総取締」という職名は実際には存在しないらしい。江島の役職は御年寄。大奥を取り仕切る立場であったのは間違いない。当時大奥は表の世界にも大きな影響力を持っていて、大奥女中に嫌われて罷免される老中もいたほどであった。表の男たちは当然それを面白くは思っていなかったろうし、作中でも描かれているように大奥が財政を圧迫するほどの「金食い虫」であったことから幕閣は大規模な改革を行う機会を狙っていたのかもしれない。そんな時に起きたこの事件。これは天英院派と月光院派の権力争いが背景にあり、六代 家宣の正室 天英院が後継に紀州の吉宗を押していたことから陰謀ではないかという説もある。この漫画もその説を元に描かれているが、実際の記録にそのような記述はどこにも見当たらないらしい。まあ公式の記録に権力者にとって不都合な記述が残るはずがないのは歴史の常識。江島の罪が、ただの風紀違反にしてはやけに重いのも事実で、不自然な点も結構ある。江島は遠島(島流し)ですんだが、その兄で旗本の白井平右衛門は斬首になっている。当事者よりずっと重い罪なのは何故? また江戸の芝居小屋も大奥内も大幅に風紀が粛正され、巻き添えのような形で処罰された者が1000人を超えるという話も。
権力争いの裏で糸をひく吉宗の側近 加納久通(女)の陰謀として、漫画でのその見せ方は非常に惹きつけられる。この時点で吉宗は加納の暗躍を知らず、これが長い年月を経て吉宗への告白へと繋がっていくのも見もの。このへんも作者の創作なのだろうが、やっぱりここも素晴らしいんだな。
ちなみに加納久通が大奥に江島の部屋子として送り込んだのが宮路という御庭番。江島に芝居を見に行く段取りをつける役。長い間忠実に仕えた有能な男だと思ってたのに、お前かよ!そして役目を終えた宮路と入れ替わりで江戸に入ってくるもう一人の御庭番、三郎左は1巻で吉宗の命を受けて水野の素性を調べた男。うーむ、こんなところにしっかり繋がっているわ。

f:id:manjutaro:20150404175914j:plain





実在しないオリジナルのキャラクターたち

水野祐之進(男)

1巻の主役 水野。ご内証の方として吉宗に選ばれ、死罪となることを受け入れる男前。吉宗の計らいで別人として生きることを選択する。
この水野の話はここで綺麗に完結している。もしかしたらこの「大奥」という漫画はもともと水野の話だけで終わるはずの短期連載だったのかな。長期連載が決まって、過去を紐解く形で家光編を描くことになったかのような展開。いやこれはこれで見事だけど。
ちなみに水野は八巻(→七巻でした)で再び登場している。吉宗がつくった町火消に集まる男衆の一人としてちょいと顔出し。にくい演出ね。

f:id:manjutaro:20150412044105j:plain


薬種問屋 田嶋屋

水野の幼なじみ お信の家。実はこの田嶋屋、後の世で思いがけず顔を出している(11巻)。青沼のもとで蘭学を学んだ者の一人、僖助が大奥を追放された後、婿として入ったのが田嶋屋。僖助は、過去にあった水野のことを引き合いに出し、田嶋屋はつくづく大奥に縁があるねえなんて話をしている。あれ?水野さん、大奥でのことは決して外に漏らしてはいけないんじゃなかったっけ…。

青海屋仁左衛門(女)

こちらも青沼のもとで蘭学を学んだ一人、青海伊兵衛の母親が廻船問屋の青海屋仁左衛門。彼女は田沼意次(女)の印旛沼干拓事業を請け負うという意外に重要な役割を担っている。もしかして実在したのかと思ったが、やはり見つからず。

仲居頭 芳三(男)

大奥で鰻丼を広めようと頑張ってる人。男色の気もないくせに、言い寄る若い後輩をねん弟として受け入れちまう男っぷりのいい板前。これが優しさです。
冗談はさておき、この人がいないとお幸の方の話は成り立たない。詳しくは以前のエントリー参照

f:id:manjutaro:20150412044220j:plain


これらは私がネットで調べた結果見つからなかっただけで、本当は実在したものもあったのかもしれない。
誰か知っている人がいたら教えてください。




九代将軍 家重

作中で、八代 吉宗(女)は大奥の中でも身分の低い卯之吉(後のお須磨の方)にこっそり手を付ける。やがて生まれた子が家重(女)である(卯之吉の子とは書かれていないが顔がそっくり)。

f:id:manjutaro:20150412044424j:plain

将軍になってから初めて子をなしたかのように描かれているが、実際には家重は紀州藩主だったころに生まれた男子。脳性麻痺があったことは確かなよう。ウィキペディアに書いてあった。戦後行われた遺骨調査で歯が大きく摩耗しており、これは日常的に歯ぎしりをしていた証拠で、脳性麻痺の特徴らしい。排尿障害があったらしく、江戸城から上野寛永寺までに23箇所の便所を設置させた。
頭蓋骨と骨盤の形から女性説もあるが、これはちょっと飛躍しすぎな気が。




田沼意次松平定信

私が子供の頃、歴史の授業で習った田沼意次の印象は賄賂で私腹を肥やした悪徳老中だった。逆に松平定信はそれを改革した清廉潔白な政治家という印象。あれから20年。歴史の評価はずいぶん変わるものだなと思う。今では田沼は貨幣経済を振興した近代日本の先駆者と言われるほどの絶賛ぶり。収賄の事実はあったようだが、当時賄賂はどこでも広く行われており、現在の認識とは異なる。人間関係を円滑にするための挨拶のようなものだったのかもしれない。田沼が賄賂を拒否したという記述もあるし、逆に反田沼の代表格である松平定信が田沼に賄賂を送ったという記録もあるらしい。田沼の失脚後、老中となった松平定信は田沼の財産を没収。城は打ち壊し。老中を降ろされたとたんこの仕打ち。一体どれだけ目の敵にされていたのだろうか。
漫画の中でも田沼(女)は他に類を見ない革新的な人物として登場し、なおかつ絶世の美女。吉宗に赤面疱瘡の根絶を託されている。逆に松平(女)は実直で潔癖。であるがゆえに出し抜かれて利用される不運な人物。11巻ではあんなに頑張っていたのにちょっとかわいそうなくらいの扱い。でも実際この人はこの通りの人だったんじゃないかなと思ったり。
さて、田沼の登場でようやく赤面疱瘡の対策がとられるようになるが、ここまで江戸の歴史を振り返ってみて、なるほど田沼意次以外にそれを担える人はいないのではと思えるほどこの人選は絶妙だと思う。平賀源内がいるし、吉宗が奨励した蘭学が花開いたのもこの時代だし。きっと作者のよしながふみは年表を開きながら赤面疱瘡の対策を打つ時期をいつにしようかと探っていただろう。そして見つけた!!と思ったろう。ここしかないもんね。




平賀源内

本草学者であり、作家、俳人、蘭画家、発明家、その他様々な肩書をもつ天才。長崎で本草学を学び、妹に婿養子をとらせて家督を放棄する。高松藩の家臣であったが、諸国を自由に旅するために辞職している。仕官お構いとなって以後どこの藩でも仕官は許されない身分となった。男色家で、二代目 瀬川菊之丞との中は有名だったらしい。春画を描いたり、長崎で手に入れたエレキテルをその原理もよく知らないままに修復したり、「放屁論」で屁について論じたり、まさに異才。
作中で、大奥の仲居頭 芳三から鰻を飯に乗せて丼で食べると旨いことを聞いて鰻屋にそれを教えるシーンがあるが、「土用の丑の日」というキャッチコピーはまさに源内の発案だと言われているそうな。晩年は、酒によって勘違いから大工の棟梁二人を斬り殺してしまい、獄中で亡くなっている。漫画では男装の女性として登場し、赤面疱瘡の根絶のために諸国を奔走する非常に重要な役割を担っている。11巻で描かれる牛痘は実際に天然痘ウィルスを根絶した予防法らしく、赤面疱瘡の予防法として挙げている熊痘は実際理にかなった方法なのかも。




青沼

青沼のモデルになった人物がいないか探してみたが、見当たらなかった。やはり完全なオリジナルキャラクターらしい。ちなみに青沼が長崎時代に師事した吉雄耕牛は実在の人物。
作中では、世間に流れる噂話として田沼意次が賄賂を受け取っている様子が描かれている。田沼に送られた大きな桐の箱。表書きには「オランダ人形一体」。中から青沼が出てきて田沼に寄り添う。この噂話は田沼批判の気運が高まった頃に実際あったものらしい。「京人形一体」と書かれた大きな木箱の中に本物の舞妓が入っていたという噂話。こんな話が後世に残ってしまうもんなんだな。ここでも男女逆転の設定がうまいことハマる。

f:id:manjutaro:20150412044738j:plain





家基の死、田沼意知の死、家治の死

田沼意次失脚へと繋がる三人の死。作中での黒幕は一橋治済(家基の死に関しては不明)。11巻の帯には「怪物、徳川治済」の文字。十代 家治(女)の世子 家基(女)の謎の死。意知(女)を殺し、家治を殺し、平賀源内を梅毒にして死に至らしめ、青沼らの失敗を見計らって田沼を失脚へと追い込む。しかも自らの手は決して汚さない。将軍になっていないにも関わらず大御所の肩書を欲しがって、反対する松平定信をあっさり罷免。一橋家の四女に生まれながら幼き頃から身内を殺しまくり、当主に成り上がった過去を持つ。これ、漫画史に残るサイコキャラ。
さて、実際はどうだったのだろう。

漫画の中で、家基が亡くなった後に田沼親子が会話を交わすこんなシーンがある。「治済公が次の将軍におなりあそばすのなら 母上のお立場もまずは安泰という事ですわね だって治済公と母上はいつもご親密になさってますもの」これに対して意次は「それはどうかの 意知 覚悟しておけ 田沼家の命運は風前の灯かもしれぬぞ」と答えている。

f:id:manjutaro:20150412044940j:plain

実際、この頃の意次と治済の関係は表面上うまくいっていたようだ。田安定信を松平家の養子にしたのはこの二人の仕業だと言われている。家治の世継ぎ 家基もこの二人が暗殺したのではないかという説がある。家基は幼い頃から文武に優れ、成長するにつれ意次の政治を批判するようになったという。十八歳の時、鷹狩りに出かけた帰りに突然腹痛を訴える。帰城の際には、駕籠の中からものすごい唸り声が聞こえたらしい。この時同行した典医が田沼意次の息のかかった者だということである。腹痛で大声をあげるなんてことがあるのだろうか。確かに不審な点の多い話である。しかしそもそも田沼の権力は家重・家治の後ろ盾があってのものであり、いくらなんでもそんなリスクの大きいことをするとは思えないとする説もあり、近年はこちらの方が有力らしい。疑わしいのはやはり治済。後に十一代将軍となった治済の子 家斉は、毎年必ず家基の命日に参詣(あるいは代参)している。将軍を歴任した者ならともかく、そうではない家基を家斉が祀るのは異例のことで、これは後ろめたいことがあったためではないか。家斉にしてみれば、自分を将軍にするために父親が暗殺したことを知っていたため、家基を鎮魂のために祀ったのではないかというのだ。
この家基の死を受けて二年後に家治は治済の子 豊千代(後の家斉)を養子に迎える。家治は治済による暗殺の可能性を考えなかったのだろうか。それとも勘ぐってはいたが、証拠がないのでやむなく選んだのだろうか。家斉を推したのは田沼意次だということである。

田沼意次の子 意知は江戸城内で佐野政言に襲われた。享年35。若年寄として父の政治を支えた非常に優秀な人物であったが、彼の死後、天明の大飢饉で高騰していた米の値が一時的に下がったためか、佐野は「世直し大明神」と崇められることとなってしまう。このころ大災害が続き、飢饉に苦しむことになったのはすべて田沼のせいだとする当時の市民の感覚は現代の我々には多少理解し難いが、為政者として批判が出るのはやむを得ないのか。この大災害の連発は田沼にとって不運としか言い様がない。佐野政言の犯行動機は意知が佐野家の系図を借りたまま返さなかったことや、田沼に賄賂を送ったのに昇進ができなかったことが挙げられているが、死を覚悟して殺人を犯すほどのことだろうか。もし佐野を操っていた人物がいたとして、一番田沼親子が邪魔だったのは、松平定信。定信は後にいつか田沼を殺してやろうと思っていたという言葉を残している。田沼政権を賄賂政治と批判しながら、自らも意次に賄賂を送っている。治済が定信をうまく利用して意知を殺させたという説もある。

家治の死に関しても暗殺説はある。が、このへんの黒い疑惑は全て推測の域をでないので、正直もうよくわからん。誰か詳しい人、解説してくれ。
わかっているのは、この三人の死で最も得をしたのは明らかに一橋治済, 家斉親子だということ。








さて、ここまで主要な登場人物と事件について書いてきたが、まだ重要な人物が残っている。
黒木良順と青海伊兵衛。
だいぶ長くなったので一旦ここで区切りとします。
次回はこの二人についてと、この漫画の今後(12巻以降)の展開を予想してみる。

 

大奥 11 (ジェッツコミックス)

 

 

続きこっち↓