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饅頭こわい お茶こわい

本好きのただの日記。こわいこわいで食べ放題。

「大奥」が壮大すぎてよくわからなくなってきたので11巻までのあらすじをまとめてみた

よしながふみ「大奥」は江戸時代の大奥を舞台に、歴史上の人物がことごとく男女逆転した世界を描く壮大な歴史ドラマ。
なんだけど正直ね、壮大すぎてよくわからんてことがしょっちゅうある。登場人物が非常に多く、ストーリーは決して時系列を追って描かれるわけでもないし、複雑な人間関係が世代を越えて絡んでくるので全体的な流れがつかみにくいのだ。少なくとも私には。何度も何度も読み返してようやくわかってきたような気がするので、最新11巻までのあらすじをまとめてみたいと思う。ちなみにこれは未読の人に紹介するのが目的なのではなく、読んだけどもうだいぶ忘れちゃったという人が流れを掴むのに役だったらと思って書いたものです。なので大奥での色恋はざっくり省き、むしろ表側、歴史に残る事件や、赤面疱瘡がこの時代にどのような影響を与えたかってことを中心にまとめています。
まず前提として赤面疱瘡。若い男子にしか罹らない非常に致死率の高い病の大流行によって江戸期の日本は男子の数が激減する。やがてそれは、女性のおよそ1/4という数字で安定していくのだが、まずは病の流行り始めから。徳川家光の治世である。


三代将軍 家光(男)が赤面疱瘡にかかり倒れた。
春日局(女)は、男色であった家光が子をなすようにと大奥をつくったのだが、結局大奥がその役目を果たすことはなかった。家光は世継ぎを残すことなく死に至る。徳川の世を守るため、再び戦乱を呼ばぬため、幕府はこの事実を隠す決断をする。
家光には隠し子があった。城を抜け出し、町娘を強姦してできた少女。長年匿われて事は伏されてきたのだが、徳川の血を絶やさぬために春日局はこの少女に目をつける。この少女が世継ぎを産むまでこの事実を決してもらしてはならない。男子禁制のはずだった大奥は、逆に男ばかりを集めた女人禁制の場となった。男子が極端に少ないことが外国に知れては攻め込まれてしまう。異国船の入港を長崎に限定し、日本人の海外渡航を禁止。こうして鎖国は始まったのである。
家光の代わりとなった少女にはなかなか世継ぎが産まれなかった。生まれた子供はいずれも女。やがて状況は変わっていく。世の男子が少ない上、疱瘡を恐れるあまり外に出て働くことができない。女が働きに出るのが当たり前になり、家督を女が継がねばならないという状況がうまれる。もはや武家であろうとも後継に女子が立つことを認めないわけにはいかなかった。春日局亡き後、頼れる頭脳を失った徳川家は、家光の隠し子が主君として恥ずかしくない聡明な女であることに気づく。三代将軍 家光の死を隠すのではなく、家光は女であると公にしたのだ。こうして女将軍 家光が誕生。以後も長い年月に渡って将軍家に男子が生まれない時代が続き、徳川家は女が継いでいくことになる。


五代将軍 綱吉(女)は聡明な頭脳を持ち、傲慢で、男を惑わす美貌の持ち主だった。それ故に大きな孤独を抱え、その寂しさを大奥で紛らわそうとする。唯一掛け値なく愛情を注いでくれる父 桂昌院の言葉を撥ね付けることができず、生類哀れみの令を出す。綱吉は犬公方と呼ばれ揶揄された。あるとき事件が起きる。吉良上野介(女)を逆恨みした浅野内匠頭(男)が殿中で刃傷沙汰を起こすのである。当然吉良にお咎めはなく、浅野は切腹。この判決は喧嘩両成敗に反する、と不服の赤穂藩。浅野の忠臣 大石内蔵助(男)を始めとする赤穂の浪士四十七人は吉良邸に押入り、吉良の首をとってしまう。この時代、世間ではすでに男は極力外を出歩かず、子種を残すために丁重な扱いをされていた。女が男を守るのが当たり前の時代。男盛りの勇猛な四十七士は英雄扱いされることとなった。吉良は今際につぶやく。「そんな馬鹿な 浅野や大石がもし女であったなら決してこんな事には…」綱吉は以後、武家の跡目を男子が継ぐことを禁止する。この禁はやがて家宣の代で解かれるが、そのころには女子相続は当たり前のものとなっていた。


六代目 家宣(女)は人格者であったが体が弱かった。側用人 間部詮房(女)は身分の低い左京(男)を家宣の側室として取り立てる。やがて家宣は子をなすが、左京がずっと想いを寄せていたのは間部であった。家宣が亡くなり悲しみにくれる間部は左京と一度だけ関係を持ってしまう。このことがやがて江島生島事件へと発展していくことになる。家宣の死後、将軍となった七代目 家継はまだ幼い上に病弱であった。後継候補にあがったのは尾張徳川家の継友と紀州徳川家の吉宗。間部詮房は尾張を推していたが幕閣内では孤立ぎみであった。大奥も二つの派閥にわかれている。間部を支える月光院(落飾後の左京の名  六代家宣の側室)派と、紀州の吉宗を推す天英院(家宣の正室)派。大奥での力関係は月光院に分があった。この時までは。月光院に仕える大奥総取締 江島(男)は部下にたいそう慕われる人格者であり、また堅物な男である。部下 宮路の気遣いもあって、たまの息抜きにと街に出て芝居見物に。そこで一番の人気役者 生島新五郎(女)と出会い、かつて抱いたことのないほのかな恋心を抱く。がしばらくして唐突に二人は捕らえられてしまう。大奥総取締という要職にありながら風紀を乱し、生島と密会を重ねていたというのである。凄惨な拷問に堪えかねて生島は密会の事実がないにも関わらずそれを認めさせられてしまう。決して認めようとしない江島に詰め寄る仕置き人。間部詮房と月光院(左京)の関係を認めればその罪を不問にしようと言うのである。江島を捕らえた真の目的はこれであった。幼くして病弱な七代 家継の跡目を狙うものが裏で糸を引いていることを知った月光院。江島の命を救うため、惚れた女(間部)の立場が危うくなるのを覚悟で対立する天英院に頭を下げるのであった。家継亡き後、こうして元は紀州徳川家の三女であった吉宗の元に将軍の座が転がり込むこととなる。数々の政敵を亡き者にし、主君を将軍にまで押し上げた加納久通の暗躍を吉宗はまだ知らない。


八代将軍 吉宗(女)。質素倹約を旨とする吉宗は贅の限りをつくす大奥の決まり事が不満であった。また、女が男名を名乗ることに疑問を持っていた。表向きの記録の上では男ばかりであるように見える。大奥の始まって以来、御右筆としてその記録を残してきた老人 村瀬を訪ねた吉宗。彼女は“没日録”と題された大奥の歴史を紐解くことによって、江戸初期までは男の数が女と同じだけあり、今の世が男女逆転した不自然な状況であることを知る。赤面疱瘡の蔓延を防がねばこの国の未来はない。吉宗は諸大名に一万石につき百石の上納を課すかわりに参勤交代の期間を一年から半年に短縮する上米の令を出し幕府の財政を立て直す。目安箱の設置、働き口のない男衆を使っての町火消など様々な改革を実行し、後の世に中興の祖と呼ばれるが民衆の暮らしが決して豊かになったわけではなかった。大奥の人員を大幅に削減。大奥内の対立を防ぐため夜の相手は平等に選び、生まれた子の父親は適当に決める。そのため、これまでこの物語の主軸であった男女の色恋は一切描かれず、最重要人物の一人でありながら割とあっさり次の世代へ物語のバトンを渡すことになる。産んだ子は三人。九代将軍となる家重(本家)、美人で聡明な宗武(田安家)、そして三女の宗尹(一橋家)。偉大な母の跡目を巡って後の代まで三家が争うことになる。


吉宗の長子 家重(女)は言語が不明瞭であった。強いコンプレックスを隠すためか傲慢なところもあり、誰の目にも次期将軍には次女の宗武が相応しいと見えた。が吉宗が選んだのは家重。そしてその側用人には田沼意次(女)がいた。田沼は隠居して大御所となった吉宗に政策について訊ねられ、商人から税を取り立てる案を披露する。「この世は決して侍がお上から頂く米俵で廻ってはおりませぬ この世は全て金で廻っているのでござりまする」これに驚いた吉宗は赤面疱瘡根絶の希望を田沼意次に託すのであった。田沼は大奥内で疱瘡の研究を進めるため、平賀源内(女)に有能な蘭方医を連れてこさせる。長崎の出島から連れてきた異人の子 青沼は最初こそ大奥内で疎まれる存在であったが、次第に信頼を得て赤面疱瘡の研究を進めていく。大奥内のインフルエンザの流行を石けんによる手洗い推奨で防いだことから、赤面疱瘡も治療より予防が有効なのではと考えた。弱毒の疱瘡患者から針で膿を取り出し、未感染の若い男子に植えつける人痘接種。しかしそれには弱毒の患者を探し出し、なおかつ絶やすことなく病気の種を人から人へ植えつけ続けなければならない。平賀源内は考える。赤面疱瘡はもともと熊の病気であったはずだ。ならば多くの熊を囲い込み、熊から熊へ移していけば病気の種を管理することができるのではないだろうか。しかしあまりに大胆なこの発想はこの時点で誰にも受け入れられることはなかった。
源内は天才であったが、その奔放な振る舞いから目の敵にするものも多い。夜道を歩く源内に詰め寄る醜い面の男たち。梅毒をうつされて身体中に発疹ができる。青沼に病状を告げられ、源内は残りの命がわずかであることを知った。仕組んだのは反田沼の勢力である。


田沼意次は十代 家治(女)にも重用され、老中となって絶大な権力を誇っていた。それが気に入らないのは田安家 宗武の子 松平定信(女)。彼女は吉宗の血を引くことに強いプライドを持ちながら、松平家に養子に出されたため後継候補から外れていた。一橋家 宗尹の子 治済(女)は穏やかな顔を見せながら松平定信をたき付けるようなそぶりもみせる。世継ぎ 家基(女)が若くしてなくなり悲しみにくれる家治。
一方、青沼は平賀源内の帰りを待っていた。病気の体をおして遠方まで旅を続け、ついに弱毒の疱瘡患者を探し出した源内。いよいよ人痘接種の始まりである。リスクを恐れて志願者はなかなか集まらない。しかし実験台を買って出た仲間たちのおかげでやがて大奥内で認知され、ある大名から人痘接種の依頼がくる。一橋治済(女)は息子 竹千代に人痘接種を受けさせようとするが、ワクチンの考えを知らぬ幼子にはただただ病気をうつされる恐怖が強い。青沼は優しい笑顔で語りかける。極まれに強毒を発症し死に至るケースもある。しかしその確率は極めて低く、乗り越えれば免疫ができて二度と赤面疱瘡を恐れる必要はなくなるのだ。この成功を持って一気に評判は知れ渡り、他の大名からも依頼がくるようになった。青沼たちの成功はますます田沼意次の評判を上げる。しかし世間では地震や洪水、浅間山の大噴火など天災が立て続けに起きる。飢饉に苦しむ民からは田沼の失政を口にする者も現れる。そんなとき事件は起きた。意次の長子 意知(女)が殿中で刺殺されたのである。すぐさま捕らえられた佐野政言(女)は気が触れた様子で動機を訊ねても埒があかない。打ち首になった佐野の墓には田沼の失脚を望む民衆から“世直し大明神”ののぼりが立てられていた。さらに、恐れていたことがついに起きる。百人に三人と言われた人痘接種の副反応が、よりによって松平定信の甥に出たのである。定信はこれを田沼意次の仕業だと考えた。悪いことは立て続けに。将軍 家治が病に倒れる。世継ぎを失って以来、長いこと家治は典医の持ってくる薬湯を飲んでいた。家治を診察した青沼は田沼意次にこれは砒素中毒の症状だと告げる。長い間知らずに毒を飲まされていたのだ。その事実を告げてももはや田沼は誰にも信用されない。ほどなくして家治は亡くなり、田沼は罷免され、青沼は死罪となる。青沼の元で蘭学を学んだ仲間たちは大奥を追放。平賀源内も梅毒で亡くなった。捕らえられた青沼は大奥の仲間たちに笑顔で語る。死罪が私だけでよかった。志さえ捨てなければ必ずいつか機は訪れる。皆さんどうかその日まで生き長らえてください。青沼の死後、その記録は全て抹消される。青沼の手で人痘接種を受けた治済の子 豊千代(竹千代から改名)は元服して名を改める。三代 家光以来、実に百五十年ぶりの男子としての将軍、第十一代 家斉の誕生であった。


男が将軍になるなんて。なぜ治済自身が将軍にならなかったのか。幕閣たちの疑問に治済はこう答えている。男が女の数と同じだけいた時代は、男子が家督を継ぐのが正道であり、女性が男名を名乗っているのは本来表向きのことを行っていたのが男だったからではないか。男子が将軍になればたくさんの女に子供を産ませることができる。これで世継ぎの心配はなくなるだろう。しかし治済の本音は、息子に世継ぎを生ませて自身は政に集中し、全ての権力を握ることであった。「わかっておろうな この母のおかげでそなたは二度と赤面疱瘡にかからぬ体になれたのですよ? そなたはこれからの半生 母の恩に報いるために生きるのです」治済は莫大な資金を投じて大奥を女の園に生まれ変わらせた。母の言いなりとなった将軍 家斉は生涯で五十五人の子をつくる。しかし家斉はぼんやりと思っていた。本当に恩に報いるべきは、あのとき人痘接種をしてくれた青い目の男なのではないだろうか。家斉はかつて大奥にいた松方(現 中奥総取締)に青沼の所在を聞く。青沼が死罪になったことを知ってショックを受ける家斉。もう一度蘭学の灯をともすため、青沼の元で学んだ者たちを集めるべく動き出すのだった。
一方、田沼意次失脚の後、老中となった松平定信朱子学を推奨し、厳しく蘭学を学ぶことを禁じていた。同じ吉宗の孫として治済とともに改革を進めていくつもりであったが、当の治済は定信の言葉に全く耳を貸そうとしない。治済は田沼を追い落とすために定信を利用していただけだった。自分を大御所にしてほしいと持ちかける治済。 “大御所”とは隠居した将軍の尊称であり、将軍を歴任していない治済が大御所を名乗れるはずはない。はっきりと断った定信は、なんとすぐに老中を罷免されてしまう。志もなく、欲望だけが肥大していく治済が権力を握ってしまったことに戦慄する定信。
治済は増えすぎた家斉の子を人知れず次々と毒殺していく。それにようやく気づいた御台所。恐るべき母の行いを知らされ、家斉はただ言いなりになっていることへの危機感を募らせていく。
かつて大奥で蘭学を学んだ者たち。御右筆助として青沼を支えていた黒木は伊兵衛とともに養生所を開いていた。そこへ同じく青沼に学んだ僖助が訪ねてくる。将軍 家斉からの赤面疱瘡の研究を再開させよとの密命を受けてきたのだ。田沼を失脚させ、青沼を死罪にし、平賀源内を殺したお上のあまりに身勝手な言い分に憤る三人の男たち。僖助は一人城へあがり、無礼討ち覚悟で将軍にはっきりと断るのだった。
黒木はもう一度人痘接種を復活させようと考えていた。かつて平賀源内がそうしたように、軽症の赤面疱瘡の患者を探す旅に出る。小さな村に竹とんぼを飛ばす子供がいた。それは確かに平賀源内が残していった竹とんぼ。その村ではたくさんの若い男衆が外で働いていた。源内が村に書き残したメモがある。人痘接種のやり方を書いたメモ。そして軽症の熊から採った膿でも同じ効果があるはずだという源内の私見も書き付けてあった。その村ではかつて子供が熊に襲われたことがあり、軽症の赤面疱瘡にかかったという。偶然にも源内の私見は立証されていたのだ。しかも熊から採取したケースで重症化した患者は出ていないという。そして江戸に帰った黒木は、イギリス人医師ジェンナーの論文の話を聞く。ジェンナーは天然痘の予防法として牛痘接種に成功しており、しかもこの牛痘の場合、人痘接種と違って副作用による死者は出ないというのだ。かつての平賀源内の言葉を思い出し天を仰ぐ黒木。あの時、源内は確かに熊痘の話を仲間に語っていた。「天然痘が牛だと言うなら赤面疱瘡は熊だ!! ああ…やはりあの平賀源内という人は天才であった…!!」ついに赤面疱瘡撲滅への道が見つかった。あとはどうやってそれを実現させるかだが…。
ある夜、黒木の元を将軍 徳川家斉がお忍びで訪ねてくる。膝をついて頭を下げる家斉。「どうかもう一度江戸城で赤面疱瘡の治療に取り組んでもらいたい!」






ここまでが11巻までのあらすじ。短くまとめるつもりだったのにえらい長くなってしまった。以前のエントリーでも触れたが、吉宗登場までは嫉妬と欲にまみれた色恋ばかりで正直私はげんなりすることもあった。ただでさえ登場人数は多いのに、この時代の人物は元服やら出世やらで名前が変わってしまう。新刊が出るたびに誰が誰やらさっぱりわからん。しかしこうしてあらすじを書き起こすと改めて感じる作者の見事な手腕。これを読んでどう感じましたかね。実際に江戸時代の歴史が男女逆転していても全く違和感ないと思いません?
さて、こうしてあらすじが掴めたところで、次回はこの物語と実際の歴史の通説を比較してみたい。

 

 

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