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本好きのただの日記。こわいこわいで食べ放題。

短編作家としての手塚治虫「悪右衛門」

さわりだけあらすじをー
摂津の国の嫌われ者 石川右衛門尉恒平は悪右衛門と呼ばれていた。板倉左大将より信太の森のキツネ一千匹をとれという命を受け、そのためなら問答無用で人も斬る残虐非道の荒くれもの。
ある日、悪右衛門に追われたキツネのリズは安倍保名という学者に匿われる。だが追ってきた悪右衛門は安倍保名のお共をたたき斬り、保名は捕らえられて左大将のもとにおくられてしまう。それに責任を感じたキツネのリズは、仲間の“人間に関わるな”という忠告も聞かず、悪右衛門の美しい妻 くずのはに化けて安倍保名を牢獄から助け出す。その結果、本物のくずのはは左大将に捕らえられ、凄惨な拷問を受けて川に流されてしまう。
妻が殺されたことを知らない悪右衛門は、家に帰るとかわいい坊を抱きかかえて外では見せない優しい笑顔を見せる。その横にはくずのはに化けたリズがいるのだった。

こうして書くとキツネの復讐潭のようだがそうはならない。リズは悪右衛門の素直な人柄にふれ、やがて惹かれていく。そしてそれは壮絶な結末へと向かっていくのだが、悲しくて切なくてここから先は書けません。未読の人は是非読んで欲しい名作です。

私が読んだのは集英社文庫「手塚治虫名作集①  ゴッドファーザーの息子」に収められた一篇で、ページ数にして99。この短編が世間でどのような評価を受けているのか私は知らない。数ある手塚作品の中で決してメジャーなタイトルではない。この漫画は葛の葉伝説(人形浄瑠璃や歌舞伎が有名らしい)を題材に描かれた作品ではあるが、その内容はあくまで手塚オリジナルだ。悪右衛門を主人公にしてここまで魅力的な人物として描かなければこの作品は成立しない。ラストシーンを手塚は元になった伝説と同じように締めくくっている。物語のオチになるのでここでは書かないが、最後の一文だけ引用。
「でも悪右衛門のことについてはどこにも  記録は残っていません」
こうした有名な伝説を題材にオリジナル要素を加えた作品を手塚はいくつも描いている。皆が知るあの伝説の真相は実はこうだったんですよと言わんばかりの大胆な改変をして作られたこれらの作品は大概とても悲しい結末を迎える。そしてその多くが短編としてまとめられているせいか、メジャーなタイトルにはなりにくいのだ。
同文庫の巻末には大沢在昌氏の解説エッセイが収められていて、短編作家としての手塚治虫についてこんなことを書いている。

 

 個人的に好きな作品をあげるなら「どろろ」がその最たるもので、(中略)シェイクスピアにも通じるような親子の相克や、戦国時代を背景にした人間の本性を見すえる、乾いたヒューマニズムがある。
 そしてこの物語が、手塚氏独特の丸い描線でもし描かれなければ、さらに陰惨でむごたらしい世界となっていたことはまちがいない。
(中略)
 ウェットなヒューマニズムは少なく、皮肉のきいた結末の落としこみは、短編作家としても不世出の才能であったことを知らされる。

 

この「乾いたヒューマニズム」は何も短編に限った話ではなくほぼすべての手塚作品に言えることなのだが、手塚漫画に影響を受けた人間は数多かれど、これほど徹底して乾ききった表現をしながら、だからこそ際立つ悲しみを描ける人を私は知らない。この「悪右衛門」を手塚はたった99ページで描いているが、現代の漫画家がリメイクしようとしたらきっと単行本で何冊にもなるような厚みのあるストーリーだ。展開はとても早く、コミカルであっさりした演出の中に浮かび上がるどうしようもない悲しみ。ああ手塚先生、あなたの漫画を読むと私はしばらくその余韻から抜け出せません。