饅頭こわい お茶こわい

本好きのただの日記。こわいこわいで食べ放題。

手塚治虫が三度挑んだ「ファウスト」

手塚治虫は生涯で三度、ゲーテの戯曲「ファウスト」を漫画化している。

ファウスト

「百物語」

「ネオ・ファウスト」(未完)

 

 

さて、私は「人生で大切なことは全て手塚漫画から教わった」と思っている類の人間でありますが、そういう輩は大概、手塚先生の考えていたことに少しでも近づきたい、もっともっと知りたいと思ってしまうものであります。
手塚治虫をこれほど惹きつけた「ファウスト」の物語は一体どんなもんかと原作に手を出すわけですが、十数年前に読んだ森鴎外訳は、初っ端から呪文のような文字の羅列を目にしてわずか2ページで挫折。
その後長らく押し入れの奥に封印されていた。
ところが、最近になってKindleでこんな本をみつける。
レビューには「一度挫折した人にこそ読んで欲しい」的なことが書いてあるわけですよ。

史上最高に面白いファウスト

史上最高に面白いファウスト

 

ホンマかいなと思いつつ購入してみたら、これが本当に面白い。

あまりに下品なセリフのオンパレードに電車の中で必死に笑いをこらえながら読むことになるのです。
原作を未読の方はどんなイメージを持っているだろうか。
偉い学者先生が書いた難解で仰々しい書物ですって?
悪魔 メフィストフェレスとのやりとりをちょっとだけ引用するのでまあ読んでみてくださいよ。

ファウスト いいか、あの娘っこをおとすんだ。
(略)
メフィスト (略)ああいうのはわたしの手には負えません。
ファウスト 年齢はもうクリアしているはずだ。
メフィスト その口ぶりは、もう一丁前の女たらしそのものだ。(略)
ファウスト (略)公序良俗を守れってか?この際、はっきり言い渡しておく、あの、かわいい、ピチピチの娘っこを今夜この胸に抱けなかったら、今夜限りでキサマとは縁切りだ。
(略)
ファウスト おれならものの七時間もありゃ、悪魔の手をなどかりなくても、あのご馳走はいただきだ。
メフィスト 恐れ入った口の利きようだ。フランス人そこのけだ。(略)
ファウスト そんな悠長なことやってられるか! すぐに取って食いたいんだ!
メフィスト 食いたい食いたいと、そう鼻息ばかり荒くされてもねえ。(略)
ファウスト じゃあ、あの娘の身に着けているものを何か持ってこい。おれをあの娘の寝床へ案内するんだ。せめて、あの娘の胸のスカーフでも、靴下留めでもいい、それを慰めとしよう。

「史上最高に面白いファウスト」(文春e-book)中野和朗 より

 

ちなみに「あの娘っこ」は名をマルガレーテといいまして、年齢は14才です。
メフィストが「悪魔」で、ファウストが「人間」です。
さぞや難解で高尚な文学作品だと勘違いしていたゲーテの「ファウスト」。
手塚版の三作の前に、まずは少しばかりこの原作のお話をしなけりゃなりませんな。


前提
手塚治虫が描いた三作品は全てゲーテの「ファウスト」を原作としているようだが、そもそも「ファウスト」はゲーテのオリジナル作品ではない。
16世紀頃からドイツで伝説として語られたファウストの物語を、およそ200年後、ゲーテは戯曲として発表。

 

 

 

 

ドイツに伝わるファウスト伝説

民衆本「実伝ファウスト博士」(作者不詳)あらすじ

ヨハネス(ヨハン)・ファウストは月夜のある日、魔法円を描きサタンを召喚し、サタンの従者メフィストフェレスを呼び出した。そして、メフィストフェレスを24年間使役するかわりに、自分の肉体と魂を売る契約をした。ファウストは贅沢な暮らしの中、近所の娘に恋をした。その娘と結婚したいと欲するも、メフィストフェレスとの契約に違反するため願いは叶わなかった。そしてファウストは、ギリシア神話のヘレンを連れてくるようにとメフィストフェレスに命じた。同棲の末、ファウストとヘレンはユストゥスという息子をもうけた。だが最期にファウストはその息子ユストゥスに殺された。
wikipedia「ヨハン・ファウスト」より

 

 

 

ゲーテの戯曲「ファウスト

長くなってしまうので、本当にざっくりとしたあらすじだけ紹介。
主観たっぷりでお届け。


天上の序曲

主(神)の前に悪魔メフィストフェレスが現れる。
人間の愚かさを語り、ファウストという学者を誘惑するという賭けを持ちかける。

悲劇 第一部

学問の奥深さに絶望する老博士 ファウスト
メフィストはあらゆる欲望を叶え、快楽を与えることを約束する。
人生をやり直して、その瞬間に満足し、「時よ止まれ!おまえはじつに美しい!」と言ったら、死後の魂をメフィストに委ねることを条件に。
ファウストは若返ってマルガレーテと恋に落ちるが、やがて悲劇の別れが訪れる。

悲劇 第二部

ファウスト、皇帝に仕えて国家の財政難を乗り切る(メフィストのおかげで)。
皇帝に絶世の美女ヘレネギリシャ神話の女神)と連れてこいと言われて神話の世界へ。
ヘレネと(メフィストのおかげで)結婚して一男をもうけるが、息子は死んでしまう。
現実世界に戻ってきて戦勝を上げる(メフィストのおかげで)。
土地を貰って理想の国家建設を目指す。
勘違いから「時よ止まれ!おまえはじつに美しい!」と言ってしまい、ファウスト死亡。
メフィストが賭けに勝ったので、魂を地獄へ導こうとする。
「むかしグレーチヘン(マルガレーテの愛称)と呼ばれた女」が魂を横取りし、天上へと救済する。

 

 

 

 


ゲーテ描いた主人公ファウストが求めた欲望は

「美女をモノにする」

「理想郷と呼べる国家の建設」

である。

しかしメフィストに命令はするもののその行動には全くと言っていいほど主体性がなく、なげやり。
ただひたすらに願いを叶えろと要求する。
関わった人間を悲劇に追いやっても罪の意識はない。

ゲーテが描こうとしたファウストは、どこまでも薄情な人でなしなのです。
「史上最高に面白いファウスト」(文春e-book)中野和朗 より

途中、本筋を外れて唐突にギリシャ神話を絡めて人造人間(ホムンクルス)を登場させるも大した見せ場なくあっさり死ぬ。
このシーンはファウストの物語とはほとんど関連性がなく、全く別のストーリーをむりやりねじ込んだかのような印象を受ける。
キリスト教の批判とも取れるような内容を書いておきながら、最終的な結末では主人公の救済を描いている。
他人の犠牲を顧みず、ひたすら自欲を求めて生きた男が、なぜか救われる。
長い年月をかけてようやく賭けに勝った悪魔がちょっと可哀想。

「何故ファウストは救われたのか」

このラストシーンについては未だに議論の的となっているが、少なくとも当時のドイツの歴史的背景を知らない我々日本人にとって、理解するのは難しいと思う。
ゲーテは一体何が言いたくて60年もの歳月を費やしてこの壮大な戯曲を書き上げたのだろうか。

 

批判めいたことを書いたが、私はこれをつまらないと感じたわけではない。

そもそも紹介した中野和朗氏の本は原作を全て翻訳した「訳本」ではなく、日本人に分かりやすいように当時のドイツの時代背景や日本で翻訳され始めた当時の状況などを解説しながらダイジェストでストーリーを紹介していく形をとっている。
つまり私は「原作を読んだ」とは言い難いわけだ。

 

 

さて、手塚治虫はこの素材をいったいどう料理したのだろう。

面白いのは、描かれたのが初期、中期、最晩年となっているため、作者の作風の違いがはっきりと表れているところ。
絵柄の違いはもちろん、手塚治虫の興味、思考、メッセージ性が移り変わっていく様子が見て取れる。
全く違うアプローチで描かれた三作品、まずは登場人物を比較してみる。
(※以下、ここで言う「原作」とはファウスト伝説のことではなく、ゲーテの戯曲「ファウスト」を指します)

 

 

 

 

主要登場人物の比較


ファウスト

原作

 悪魔と取引きして若返り、欲望のままに無自覚に罪を重ねる主人公。

悪魔が語る「愚かな人間」というのがゲーテが描いた大きなテーマ。

 
ファウスト

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手塚プロダクションファウスト」より

頼りないようなカッコいいような。

ドタバタシチュエーションコメディとしての面白さが主体の作品なので、キャラクターを深く掘り下げるような描写はない。

 
「百物語」

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集英社文庫「百物語」より

最初の名は一塁半里(いちるいはんり)。これは原作のハインリッヒ・ファウストをもじった名前。生まれ変わって不破臼人(ふわうすと)を名乗る。

ただ若返るのではなく、別人になっているというのがポイント。臆病で冴えない下級武士であったが、スダマに叱咤されて心を入れ直し、見違えるように成長していく。

ラストの告白シーンは男も惚れるあっぱれな覚悟。

 
「ネオ・ファウスト

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朝日文庫「ネオ・ファウスト」より

 

大学教授 一ノ関。時代を遡った上で若返り、記憶をなくす。坂根第造に拾われて、以後は坂根第一を名乗る。

卓越した頭脳と強い野心で経済的な地位を築いていく。メフィストに命令はするが、信頼を置いているわけではないようで、あくまで利用価値のある女扱い。

信じられるのは自分のみ、といった強い意思と孤独が感じられる。

 

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朝日文庫「ネオ・ファウスト」より

メフィストに、今夜あの子を抱きたいからなんとかしろと迫る坂根第一

 

 

メフィストフェレス

原作

 ゲーテの描いたメフィストは悪の権化というよりセコくて下品な狂言回し。初登場シーンの第一声は「ちょいとごめんなすって。メフィストでございます。」

以下、登場シーンをちょっと引用

メフィストが登場。主と大天使たちの立ち居ふるまいとは、きわめて対照的に、せわしなく、おっちょこちょいで、いちいち軽い。声はやや高いオクターブで、表情は豊か。」

「史上最高に面白いファウスト」(文春e-book)中野和朗 より

 
ファウスト

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手塚プロダクションファウスト」より

 黒いプードルの姿をしている。ファウストとは相棒のような関係にみえる。

真の姿はなぜかマントをまとったヒーローみたい。

 
「百物語」

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集英社文庫「百物語」より

 作中での名前はスダマ。美しい女性。献身的に世話を焼く。次第に主人公に惹かれていき、悪魔としての掟を破って救済する様は明らかにヒロインとしての役回り。

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集英社文庫「百物語」より

鳥に嫉妬するスダマ

 

「ネオ・ファウスト

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朝日文庫「ネオ・ファウスト」より

 妖艶な美女。こちらも主人公に惚れ込む嫉妬深い女性。しかしご主人様に従順なだけではなく、自身の欲望ものぞかせる。女としてファウストを何度も誘惑するが、振り向いてもらえない。目的のためには手段は選ばず冷酷。ミスをして主人公に怒られることも多い。

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 朝日文庫「ネオ・ファウスト」より

 

 

マルガレーテ(グレーチヘン)

原作

 若返った主人公と恋に落ちる近所の娘。最初の出会いでは若干ツン要素あり。以降はデレのみ。

恋は盲目。恋路を母親に邪魔されないようにと、ファウストにもらった睡眠薬を盛るが、分量を間違えて母は死んでしまう。

その後、兄がファウストを目の敵にして決闘を挑むが、メフィストの助力を得たファウストによって返り討ち。

マルガレーテは罪の意識から、生まれてきたファウストとの子供を殺してしまい、気が触れる。ファウストは彼女を救い出そうと牢獄へ忍び込むが、逃げ出すのを拒否される。置いて逃げるファウストギロチン刑に処せられる朝が来る。

 

ファウスト

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手塚プロダクションファウスト」より

 架空の王国の姫として登場。天上の主(神)より送られた天使の生まれ変わりという設定。

子供向け漫画であるための配慮か、嬰児殺しの罪は描かれない。

最終的にファウストを救済するのは、マルガレーテの愛ではなく天使の御業。

 

「百物語」

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集英社文庫「百物語」より

 作中での名前は真砂(まさご)。主人公の娘として登場。

父とは知らず、不破臼人(ふわうすと)に恋をしてしまう。優しい父の面影を主人公に見るが、結果的に人を殺すシーンを目の当たりにして絶望する。

手塚治虫が主人公を「若返らせる」のではなく、「別人に生まれ変わらせた」のは、この再会シーンで父だとわからないようにするためだろう。

物語の重要キャラとはなり得ないというのが他作品との大きな違い。

 

「ネオ・ファウスト

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朝日文庫「ネオ・ファウスト」より

 作中での名前は高田まり子。学生闘争に身を捧げる純真な女性。

嬰児殺しの罪も描かれており、原作通りの悲しい末路。

もし絶筆がなければ、その後が描かれていた可能性もある。

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朝日文庫「ネオ・ファウスト」より

歌詞はアレンジされているが、原作通りねずの木の歌を歌うまり子。ゲーテが引用した大元のネタはグリム童話

 

 

 

 

 

ファウスト」(1950 単行本)

ファウスト

ファウスト

 

 

初期の手塚作品の例にもれず、コミカルでかわいいキャラたちが生き生きと描かれる。
等身が低く丸っこいキャラクター。
動きを表現する線もくるくるした曲線で描かれている。

複雑な二部構成となっていた原作を、一本の分かりやすいストーリーにまとめ直している。設定を大きくいじりながらもしっかり辻褄の合った構成は見事。
盛り込んだストーリーは小ネタまでもが原作に忠実ながら、あくまで児童向けの楽しいファンタジー作品といった印象。
しかし原作の壮大な物語を、わずか120ページほどの漫画に収めた結果、駆け足気味のダイジェストといった感がいなめない。

主人公ファウストが「努力することがわしの探していた満足じゃった!」と語るシーンもあまりに唐突。

一体どこに「努力」が描かれていたのか。

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手塚プロダクションファウスト」より

「人を殺してしまった」と絶望した次のページで突然「満足」を語るファウスト


ラストの救済されるシーンも契約をぶち破る神側の一方的な超展開で幕を閉じる。

読者ポカーン。しかしある意味これも原作に忠実か。

この『ファウスト』が発表された当時、手塚治虫はマンガを日本に文化として根付かせるための手段のひとつとして、名作文学のマンガ化に意欲的に取り組んでいました。
その一環として、このあとドストエフスキーの『罪と罰』や、シェイクスピアの『ベニスの商人』のマンガ化も手がけています。
手塚治虫公式サイト マンガwikiより

つまりあくまで「手段」として描かれており、端から手塚治虫の作家性が入り込む余地は無かったのだと思われる。

 

 

 

 


「百物語」(1971 週刊少年ジャンプ

手塚治虫名作集 (3) (集英社文庫)

手塚治虫名作集 (3) (集英社文庫)

 

 

前作と比べると格段な表現力の向上が見て取れる。

写実的な背景、派手なアクションとコミカルな掛け合い、どのキャラも非常に魅力的でストーリー展開もわかりやすい。

舞台を戦国時代の日本とし、原作で登場したギリシャ神話の神や悪魔は日本古来の妖怪に置き換えられている。

何より大きな変更点は、原作ではどう考えても主体性のない傲慢な人でなしであった主人公がヒーローとして描かれていることである。

しがない下級武士が二度目の人生をやり直すべく、努力と知略を持って成長していく冒険譚。
主人公が強い意志を持って前向きに行動する様は、まさに少年漫画の主人公。

メフィストフェレス(作中では「スダマ」)を女性として描いてかわいいヒロインに仕立てあげた。

苦悩するのは主人公ではなく悪魔であるスダマの方であり、魂を救済するのもスダマの愛である。

その結末はあまりに切なく美しい。

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集英社文庫「百物語」より

メタメタにポー

 

ラストシーンで救済されるためには主人公は読者に気に入られるキャラクターにする必要があったと思われる。

描かれるのは「人間の罪」ではなく、人生をやり直す希望。

個人的なことをいうと私はこの作品が大好きで、数ある手塚漫画の中でも一番読み返している回数が多いと思う。

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集英社文庫「百物語」より

死を受け入れて「満足」する主人公とそれを止めるスダマ

 

 

 

 


「ネオ・ファウスト」(1988 朝日ジャーナル

ネオ・ファウスト 1

ネオ・ファウスト 1

 

 

現代の日本が舞台。学生闘争から始まり、政財界の権力者との駆け引き、主人公の強い野心と欲望が描かれる社会派ドラマ。

細い線で細かく描き込まれた直線的な背景。陰影をあまりつけず、黒ベタと白抜きで表現されている。

面白いのは、ただ若返っただけでなく、時代を遡っている点。

これによって主人公は同じ事件を繰り返しながらも、微妙にずれたパラレルの未来に足を踏み入れることになる。

もし絶筆とならなかったなら、この先はどんな展開が待ち受けていたのか。
手塚治虫は長谷川つとむ氏(日本大学教授)に、構想に関する相談をしていたそうで、朝日文庫の巻末に記載された氏の解説で、物語の核心に触れる重要な構想が明らかにされている。

この物語の初めに、丸い球の中にある女性を描いたが、ヘレネを地球存在そのものをあらわす生命体として表現したい。

 ゲーテの作品ではホムンクルスという人造人間がちょっと出て来てすぐ消えるが、今度の作品では最後まで生かしたい。過激派のリーダー石巻が死ぬ前に主人公の坂根第一に託していった本人の精子がクローン人間として誕生する。このクローン人間には、石巻の持っていた根っからの闘争精神があるのだが、それを坂根が新しい生命体に作り直す。そしてこのホムンクルス型の生物が地球を破壊する。つまりこの作品は、バイオテクノロジーに対する不安もしくは拒否反応がメインテーマなのだ。
 ところが地球が破壊されてしまうのだから、ゲーテが『ファウスト』作品に導入した “救い” がなくなって、伝説上のファウストの地獄堕ちという形になりそうである。下手に描くと夢も希望もないカタストロフィーに終わってしまう恐れがある。さればと言って救いを導入すれば、安易な妥協的なものになるので、迷っている
朝日文庫 「ネオ・ファウスト」解説 より

 

原作はあくまでファウスト個人の物語であったが、どうやら手塚治虫は世界に影響を及ぼすほどの歪んだ欲望を描こうとしていたらしい。

坂根第一がホムンクルスを生み出し、破滅の未来に向かうことになるのなら、それこそまさに「悪魔」の所業。

「満足した」という言葉が聞けない限りメフィストは契約を果たすことはできない。

破滅の未来を持って主人公が「満足」するのだとしたら、ラストシーンで魂の救済はありえたのだろうか。

 

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朝日文庫「ネオ・ファウスト」より

自分のクローンと作って欲しいと頼む石巻

 


手塚治虫が原作から受けた影響

ここで一旦、話を原作に戻したい。

ゲーテの「ファウスト」には非常に興味を惹く名セリフがたくさんある。

特に悪魔が吐くセリフは現実の人間社会に対する皮肉がたっぷり。
冒頭の「天上の序曲」で主に向けた言葉。

メフィスト「(略)人間て奴は、旦那が”光のかけら”なんぞを分けておやりなすったので、いい気なもんですぜ。万物の霊長などとぬかし、宇宙の支配者を気取っております。やりたい放題のあげく、相も変わらず共食いを競い合う始末でさあ。これじゃあ早晩、旦那がお創りになった万物を道連れに、地球を破滅させかねませんぜ。このあっしでさえ、背筋が凍ります。クワバラクワバラ。」

「史上最高に面白いファウスト」(文春e-book)中野和朗 より

 

これに対して主はこう答える。

「人間は、努力をする限り、迷うものだ」(相良守峯訳)

この有名なセリフはゲーテの「ファウスト」の重要なテーマの一つだと言われている。

どの翻訳本をみてもだいたい似たような訳がつけられている。
しかし中野和朗はこの一文に関して非常に興味深い考察をしながら、他の人とは違った訳をつけている。

「人間が、野心にかられて奮闘努力すれば、必ず、罪を犯す」(中野和朗訳)

この訳は一見似ているようで全く違う。

私にはこれがゲーテの意図を正確に捕らえた名訳なのかどうかの判断はつかないが、
少なくとも、手塚治虫ゲーテの「ファウスト」を読んで受け取ったメッセージはこの中野訳が一番近いのではないかという気がしている。

 

さらに悪魔メフィストは人間をボロクソにこき下ろす。

この星のちっちゃな神様は、いつもいつも妙なことばかり、

それこそ天地開闢の日このかた繰り返しています。
ほんとうなら、もっとましな生き方もできたんでしょうが、
旦那がお天道さまのかけらなんぞ分けてやるからですぜ、
そいつを理性だ知性だと呼んで振り回したあげく、
犬畜生より、もっとひどいことをやらかす始末でさあ。(281~286)

「史上最高に面白いファウスト」(文春e-book)中野和朗 より

 「この星のちっちゃな神様」というのが人間のこと。

ゲーテの「ファウスト」は人間が欲望にかられ、罪を犯すことがテーマになっているのである。
人生をやり直しても罪深き人間。

そしてそれこそがきっと手塚治虫が「ネオ・ファウスト」で描こうとしたことだ。

 

ゲーテメフィストに痛快な皮肉を幾度も語らせるが、それは単発的な捨てゼリフのようなものばかりでストーリーに直接影響するようなことは起こらない。

たとえば、人間が生み出したホムンクルス(人造人間)にうまく誘導され、古代ギリシャ世界に旅立つことになったシーンのセリフ。

メフィスト狂言回しとして舞台を見る観客に語りかける。

メフィスト「あくせくしたあげくに、あたしたちは自分が生んだものに振り回されるんですな。」

「史上最高に面白いファウスト」(文春e-book)中野和朗 より

まるで人間のようなこのセリフ、はっとするような皮肉が利いているが、このシーンでも別に「自分で生んだものに振り回される人間の悲哀」が描かれているわけではない。

「悲劇」は起こっても「悲哀」はないのだ。

 

手塚治虫はこういった現実社会への皮肉を一つのセリフで片づけるのではなく、きちんと物語の要素として落とし込もうとしていた。

ホムンクルスに地球を破壊させることで描きたかったのは、主人公の苦悩だろう。

 

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朝日文庫「ネオ・ファウスト」より

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朝日文庫「ネオ・ファウスト」より

ホムンクルスを生み出して「生命をこの手に握りたい」

 

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朝日文庫「ネオ・ファウスト」より

世相を反映させた展開。ベトナム戦争に踏み切ろうとするアメリカに枯葉剤を売って大金を作ることを迫るメフィスト。セリフで語らなくとも人間への批判は不足なく盛り込まれている。

 

 

後期の手塚作品は社会風刺の要素が強くなる。

火の鳥 生命編」はクローン人間を撃ち殺す狂気のテレビ番組の話。
まさに「科学技術を上手く使いこなせず自滅する愚かな人間の悲哀」がテーマだった。

 

 

手塚治虫はなぜ三度も「ファウスト」の物語を描いたのだろう。

ゲーテの原作を読んで、自分のほうが面白く描けると考えただろうか。

描く度にもっともっと面白くできるはずだと思っていただろうか。

 

「ネオ・ファウスト」は完結していればきっと傑作と呼べるものになっていたはずだ。

 

息子が死にたくないと泣いた

ある日、帰宅すると家の前で息子(5歳)の泣き声が聞こえてきた。
窓が開いているので、それを諭すような母親の声も聞こえる。
またわがままを言って怒られたのかなと玄関を開けると、絶叫の中、妻が困った顔をこちらに向ける。
「死にたくないんだって」
何の話だかわからんが、私の予想はどうやらはずれていたようだ。
「ニュースで亡くなった人のことをやってたの
ぼくもいつか死ぬの?って言ってて…
最初は、『そうなんだ~』って平気な顔だったのよ」
ついにこの時が来たと思った。
息子はしばらく考えて、死を理解するとだんだん怖くなってきたようだ。

死にたくないよぉ
死ぬのやだよぉ
生き返りたいよぉ
パパとママとずっと一緒がいいぃ
死にたくないぃ
ずっと生きてるぅ
いやだよぉ 


自分が子供の頃を思い出す。
幼い頃、大好きだった祖父が亡くなって二度と会えないことを理解したとき、私はいつかやってくるだろう自分の死に震えた。
死ぬと何もなくなる。
夜中にトイレにいくのも怖かったし、暗闇や孤独がたまらなく不安になった。思い浮かべる祖父の顔が死の象徴のような気がして、大好きだった人のことを思い出すことが嫌になってしまった。

それから20数年経って、親父がガンになった。
その当時、私は結婚を間近に控えており、新居に引っ越すために親父から軽トラを借りる約束をしていた。親父も手伝ってくれるはずだった。
母親からの電話で親父が危ないと聞かされたとき、私が真っ先に考えたのは「引っ越しどうすんだよ」ということだった。
あの親父が死ぬなんて信じられなかった。
親父は鉄のような男だ。
幼い頃もらったげんこつは痛かったし、頑固で人の意見は聞かないし、腕相撲で勝った試しは大人になっても一度もない。
母にも暴力を振るってよく泣かせていたし、事業が上手くいかず多額の借金もあった。
尊敬できるような男ではなかった。
その親父がもうすぐこの世から消える。
病院で二人きりになったとき、怖いと言って親父が泣いた。
私の前で涙を見せたのは初めてだ。
私は逆に親父の前で泣くのはやめようと決めた。
しかし一人になると涙が止まらなくなって、死ぬと何もなくなるという恐怖を思い出した。
それから2ヶ月後、鉄のようだった男は小枝のようにガリガリに痩せ細ってあっさり死んだ。



息子は泣きながら何を思ったろう。
日々新しいことを吸収し、楽しいことも悲しいことも次々に増えていく幼い子供にとって、何もなくなるというのは想像しがたい恐怖だ。
肉体がこの世から消えてなくなる。心もなくなる。
仲良しの友達とも二度と遊べない。
がんばって作ったレゴも意味が無い。
死にたくないと思うこの気持ちもなくなるの?
何もないってどういうこと?
死んだその先の世界を誰も知らない。
ただ、何もない―


ipadyoutubeを見て笑いながら、時折思い出したように死にたくないようとグズる我が子。
「生まれ変わってもママがまたあなたを産んであげるよ」と言って妻が小さい手をぎゅっと握りしめる。
私は何か父親らしい言葉をかけてやりたいと思うが何も出てこない。

寝る前、布団に寝そべって息子が歯磨きをしている。
「そっか みんな死ぬか」と天井を見上げてつぶやいた。
頭をなでながら、ブログのネタになるかなとメモをとるしょうもない親父であった。

「百円の恋」を観ると安藤サクラのことばっか考えてしまう


安藤サクラの体当たり演技が光る!映画『百円の恋』予告編 - YouTube

 

 

嫁がDVDを借りてきた。

「百円の恋」
全く興味はなかった。
オープニングから泥臭いシーンがダラダラ続くし、その時私は本を読みたかったので正直別室に移動しようかと思っていた。でも結局全部観てしまった。そしてこんなブログを書いてしまうくらい心惹かれてしまったんだ。
タイトル通り安っぽい映画だと思っていた。自分なんぞにあらすじ書かすと実際ひどく安っぽいストーリー紹介になってしまうと思う。でもあえて書いておこう。
というわけで大いにネタバレします。まあバレて困るようなネタがある映画じゃないので許して。

 


32歳で家業も手伝わず引きこもっている一子(いちこ)は、出戻りの妹と殴り合いの喧嘩をして家を飛び出す。もうこの時点で主人公のどうしようもないクズっぷりが画面いっぱいにたちこめている(褒め言葉です)。
近所のボクシングジムで気になる男を覗き見る。一子は百円ショップでバイトをして生計を立てるが、この百円ショップに集まる人たちがまたどうにもならないくらいのクズっぷり。バイト仲間にレイプされたり、惹かれていたボクサーと僅かに心を交わしたかと思ったらヤリ捨てられたり。この時の新井浩文演じるボクサーの捨てゼリフが実にクズっぽくて素晴らしい。「女房にでもなったつもりか」
捨てられた男がかつていたボクシングジムに通うようになる一子。贅肉のついた身体でファイティングポーズをとるも様にならず実に痛々しい32歳(32歳は女性がボクシングライセンスをとれるギリギリの年齢らしい)。ここまでずっと暗いシーンが続いており、だらしない長い髪で覆われた一子の表情はあまりよく見えなかった(映画館なら見えるんだろうが、DVDを借りてきて明るい部屋で視聴してると主人公の表情はほとんどみえない)。腐った魚のような暗い瞳だけがかろうじて見えているような状態だったのだ。そんなとき、父親が実家に戻るようにと話をしにきた。ここで初めて一子は笑顔を見せる。父親に「何かお前変わったな」と言われる一子。この変貌ぶりが一番の見所。きれきれのシャドウーを見せる引き締まった身体。もはや同じ役者が演じてるとは思えない。このトレーニングシーンと音楽の使い方は「ロッキー」を引き合いに出されるようだが、私がここで惹かれていたのは試合に向かう高揚感ではない。この女優さんすげーってことばかり考えていた。恥ずかしい話だが、私は安藤サクラを知らなかった。クライマックスシーンでボコボコに顔が腫れ上がる一子。ラストシーン、ロングショット長回しで表情は見せないが勝ちたかったと泣く一子。全編通して一度も女性的な描き方をされたシーンは一コマも見当たらないのに、私は一子をかわいいと思ってしまった。
正直私はこの映画が傑作なのかどうかよくわからない。
だらだらと長い映画だなと感じたし、ストーリーもありがちな気がしないでもない。
しかし、翌日になってもこれほど余韻を引きずっている映画は早々無い。

安藤サクラが気になってしょうがないので検索したりして。
奥田瑛二安藤和津の娘で、柄本佑と結婚してる。ほう、まさに芸能一家。
びっくりしたのは曽祖父。犬養毅の名前が入っている。安藤和津のじいちゃんてあの犬養毅なんだ。知らなかった。

どうして私はこの映画にこれほど魅了されたのだろう。
今までの自分を変えたいと主人公は頑張るけどそんなに簡単に結果には結びつかないよね。でも一歩踏み出したんだしそれはとても大きな一歩だよ、って書くと実にありがちっちゃありがちなお話。一子は誰かに影響を受けたということもなく何となくボクシングを始め、誰かに強い意志を表明することもなく一人静かに試合で勝ちたいと思うようになる。誰も導かないし、誰も止めない。ただ怒りを募らせてトレーニングに集中していく。終始、一子は無表情で、怒りや寂しさを静かに静かに表現している。
これまで、その作家性に魅了されて作者自身に興味を惹かれたことはあった。キューブリックの映画を観ると監督キューブリックが何を考えてそのカットを撮ったのかを考えてしまうし、手塚漫画を読むと、手塚治虫が表現したかったことは何かなんてことをつい思ってしまう。しかし役者個人にこれほど惹かれたのは初めてだった。
インタビュー記事を読んだが、ほとんどアドリブは無く脚本通りに演じているらしい。脚本も演出も素晴らしいと思うが、やっぱり安藤サクラ表現者だったのだろう。私にはそれがきちんと届いたということだと思う。
いちいち回りくどいこと書いているが、要は私はこの映画が気に入ったという話だ。
終わり。

大奥12巻まとめと13巻予想

11巻の巻末にある次巻予告をみて12巻の展開予想をするも大きくハズレ。

manjutaro.hatenablog.com

 

黒木の「天文方…」というセリフからシーボルト事件に絡んでくると予想したのだが、いやー、まさかたった一コマで済まされるとは。しかも黒バックにナレーション処理。

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こりずに今回も予想してみる。
その前に12巻の予想のおさらい。ネタバレ注意。

 


予想とは違う形であったが、高橋景保は登場している。

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伊能忠敬の死後、その測量を元に「大日本沿海輿地全図」を完成させた人物。その地図があまりに正確で、国防のために国外持ち出しは禁止された。
作中でも触れているように樺太の地図が必要と考えた景保は、日本の地図と引き換えにシーボルトから樺太の地図を手に入れる。しかしシーボルトが日本の地図を国外に持ち出そうとしたことが発覚し、景保は投獄される。翌年獄死するが、その遺体は塩漬けにされ、後日引き出されて斬首に。
国の将来を見据えた高橋景保に対するこの手厳しい処罰、漫画の題材として面白いのではと思ったが、本筋と外れるせいか一切描かれることはなかった。
それどころか、「シーボルト事件の責を免れた伊東玄朴がお玉ヶ池種痘所をつくって種痘を成功させる」なんてもっともらしい予想をしておきながら、伊東玄朴の名前すら出てこない始末。
というわけで、私の予想はカスリもしなかったわけだが、どうやらこの12巻は歴史の表舞台から離れたかなりオリジナル要素を盛り込んだ話が主となったようだ。

やはりこの巻で目を引くのは、治済への復讐を目論む二人の女性。

f:id:manjutaro:20150920113052j:plain徳川治済(注:家重ではありません)

長きにわたって将軍 家斉をも騙し続ける女の恐ろしさ。黒木たちの積年の夢であり、この漫画の主題であった赤面疱瘡克服の達成が霞んでしまうほどの衝撃であった。
大奥総取締 滝沢(お志賀)はほぼ創作といえるだろうか。
この時代、大奥で力を持っていたのはお志賀ではないようだ。
また、家斉の正室(御台所)茂姫に関しても、その子 敦之助亡き後に気が触れたという記録はないようで、このエピソードは完全に創作だと思われる。

ちなみにこの御台所 茂姫、最初の名を篤姫といい、のちに13代将軍 家定の正室となる天璋院の「篤姫」はその名をあやかってつけられたものだそう。
病弱で子供のいない家定に嫁がせることを前提に、子だくさんの家斉に嫁いだ女の名前をあやかったわけだが、この時代、人の名前って簡単にかえさせられるものなんだな。

f:id:manjutaro:20150920113343j:plain注:家重ではありません


さてでは、その家定の時代となる次巻、13巻の予想をしてみよう。
12巻のラストで十三代将軍 家定は女性として描かれている。
家定のウィキを見てみる。痘瘡を患ったため顔には痘瘡痕が残っていたと。ほほう。しかし漫画ではやたら美人に描かれており、キレイな顔で登場している。このへんを関連付けるつもりはないんだろうか。

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次巻予告には老中首座の阿部正弘が女として登場。「そして、正弘が出会った人物はー!?」のあおり文句で締められている。

f:id:manjutaro:20150920113633j:plain男で美しい者?

将軍が女ということは、大奥に入るのは男。そしてこの時代、大奥で重要な人物となるのは篤姫しかいないと思われる。
しかし篤姫は美しい人だったのだろうか。うーむ。

さておき、家定や阿部正弘が女だということは、ペリーやハリスに謁見する時に、これまでひた隠しにしてきたこの国の事情が外国に知れ渡るということだ。この漫画はあくまで歴史を改変しないように描かれてきており、現代の歴史の教科書に載っていることを崩さないように非常に丁寧に工夫されている。

ハリスの日記、Wikipedia引用。

アメリカ公使ハリスの日記によると、言葉を発する前に頭を後方に反らし、足を踏み鳴らすという行動を取ったとある。これは脳性麻痺の典型的な症状と言われる。

家斉の代で男に戻した将軍を、わざわざ再び女にしたのはこのためじゃないかと思うのだ。

つまりハリスと謁見するのは女将軍 家定ではなく、正室となった篤姫(男)が将軍役を担うのではないかと。
将軍のフリをしてハリスと顔を合わせた篤姫(男)が、後ろに控える阿部正弘(女)と言葉を交わさずに意思疎通を図ったことにハリスは気づかない。結果、不自然な態度として日記に残されたー という予想をたててみる。

薩摩島津家から輿入りした篤姫は、家定の死後、落飾し天璋院と名乗る。結婚生活はわずか1年9ヶ月。幕末の動乱の中、将軍家の敵となる薩摩を省みることなく徳川の人間として振る舞う天璋院。明治16年、49歳で亡くなる天璋院の生涯を持ってこの「大奥」という物語が締められるのではないだろうか。

という戯言でした。

4歳児のマイクラ日記

4歳の息子がマイクラにハマった。
言わずと知れたマインクラフト。まさか4歳児がこれほどドップリ浸かるとは思わなかった。


きっかけはyoutubeのゲーム実況動画。小さい子供にipadを与えるのが教育上よろしいかどうかの議論は置いといて、息子にとってそれはもやは欠かすことのできない情報ツールである。仮面ライダーや戦隊ヒーローのおもちゃの商品紹介動画、素人が作ったLEGOのコマ撮り動画。そしてゲーム実況。チャンネル登録しているyoutuberたちはテレビのヒーローに劣らない憧れの的である。

マインクラフトはLEGOによく似ている。四角いブロックを積み重ねて何でも好きなモノが作れる。
ウチの子がハマったのもまさにこの“クラフト”としてのゲーム性で、家にこもって「かまど」と「作業台」で作っては積む毎日である。基本的にビビリなので外にはあまり出ない。
そう、LEGOと決定的に違うのは敵が出てくること。特に夜になるとどこからともなくモンスターが湧いてきて、襲い掛かってくるのだ。戦闘の操作に慣れない4歳児にとってモンスターは圧倒的な恐怖の対象で、苦労してダイヤ装備を作ってやったにも関わらず、それを活用する日はなかなか訪れない。
マイクラを始めて一月ほど経つが、ずっとそんな調子であったのだ。ついこの間までは。

ある日、休日に息子と一緒にマイクラを始めると、ベッドを壊して持ち物に入れた。
マイクラを知らない人のために解説するが、このゲームでは一度設置したものをもう一度「持つ」には、砕いてアイテム化する必要がある。ベッドは非常に重要なアイテムで、設置して眠れば恐ろしいモンスターがたくさんいる夜をあっという間にやり過ごすことができるのだ。さらに言うと、死んだ時にリスポーン(生き返る)する場所としての意味がある。つまりこのゲームにおいて、「ベッドを持つ」ことは「セーブポイント確保する」ようなもの。絶対に欠かせないものなのだ。
端から見ていた私は戸惑った。
「え、ベッド壊しちゃうの?」
「ベッドもって(崖の)上にいくの」
「いやいやもう一個つくって持っていけば…」
「いいの!」
ゲーム的なことを考えるとこの選択はあまりにもいただけないのだが、正直私はうれしかったのだ。
マイクラのワールドがどれほど広いのか知らないが、少なくとも私は未だ一周したことがないくらい広大な世界である。今いる家を出て、新たな土地を開拓すべく、冒険の旅に出る気になった我が子の成長を微笑ましく感じたりしていたのだ。
大げさだって?
いやいや、全然そんなことないと思うよ。

さて、ベッドを手にして(大した装備もせず)旅に出た小さな勇者スティーブ。
崖を登ってずんずん歩く。
前方からゾンビが襲いかかってきた。それでも勇者は怯まない。
いつになく強気だな。
攻撃されてダメージを受ける。それでも勇者は怯まない。
??
というか戦う気もないし、逃げる素振りも見せない。
「おいおい、早く逃げないと!」
「いいの、一回死ぬの」
!!!?
「え?なんでベッドなくなっちゃうよ?」(死ぬと手持ちのアイテムは失う)
とか言ってるうちにオウオウ言ってスティーブ死亡ー

少々解説せねばなるまい。
このゲームでは死ぬとアイテムは失うが、リスポーンする時に体力は満タンの状態に戻っている。以前から私は、アイテムをチェストの中にしまった状態で何も持たずに死ねば、回復アイテムを使わなくてもいいじゃんという小賢しい方法を彼に教えていたのだ。それは小さな勇者もちゃんと理解していたはずだった。いつも家に帰るとまず何をおいてもチェストの中に収穫したアイテムをしまうという癖がしっかり染み付いていた。4歳児にしては驚くほど几帳面でセコい男だ。にも関わらず、ベッドという超重要アイテムを持っていることを忘れ、無抵抗のまま敵の攻撃に屈してしまった愚かな勇者。リスポーンしたのは全く見覚えのない土地。
パニックである。
泣き叫んで周りをグルグル回っている。
そばで見ていた私も焦る。
「ちょっと待て、お家は川の近くだったからこっちの方じゃ…」といって手を出すが、全くわからない。
「ちがうの!そっちじゃないの!死んだところに行きたいんだよう(絶叫)」
どうやら死んだ地点にアイテムが一定時間は転がっていることを理解しているようで、何とかベッドを回収したいようだ。
実況動画をさんざん観てきたおかげで知識だけは豊富な勇者。
しかしどう見ても先ほど死んだ地点の付近ではない。
「この川をずっと行ったら家に帰れるんじゃないの?」
泣きじゃくる息子をなだめながら川を進むが、一向に見覚えのある地形は見えてこない。
やがて夜がやってくる。
あの恐ろしい夜が…。

どうやら今すぐ家に帰ることは諦めざるをえないようだ。とりあえずこの夜を何とかしのがなくては。
土ブロックをたくさん積み上げて、スケルトンの矢もクモのジャンプも届かない高い高い塔を作る。ここで朝までやり過ごすことに。
遠くまで見渡しても全く見覚えはない。
少し落ち着いてきていた息子が再びポロポロと泣きだした。
「くやしいよー。かなしいよー。せっかくパパがお家をつくってくれたのにい(号泣)」
なんて切ないこと言うんだコイツは。こっちまで泣きそうだ。
大丈夫だよ。また新しいお家を作ればいいじゃん。このワールドは全部おまえのものなんだから。好きなだけ何個も家を作っていいんだよ。いつかまたあのお家も見つかるかもしれないし。ゆっくり一緒に探せばいいんだよ。
うん、わかった。ありがとう。

なんつうか、もうたまんなく切なかった。
こんな恥ずかしいブログを書いちゃうくらい切なかったのよ。

夜が明けて、気を取り直した小さな勇者は木を切り始めた。
以前から作りたがっていた木造の家を建てるのだそうだ。幸い周りに木はたくさんある。
まだ屋根はできていない。ベッドもない。
「クモが上から入ってきちゃうかもしれないよ」
「大丈夫だよ。スポーンするとこ近いもん。塔あるし」
あの高い土の塔は壊さずに残しておくことにした。
わざと落っこちて(死ぬけど)遠くから目印としてみえるようにしたのだ。
新しい家の近くにオオカミがいる。骨をあげて懐かせようとしているらしい。こういう知識だけはやたら豊富。

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なんだかちょっとだけ頼もしくなったような気がするけど、気のせいかな。
また泣くなきっと。
まあ頑張れよ。

誰が何と言おうと正しいと信じる道を行く。正義の漫画6選

自分は保守的で小っさい人間だってことを知っているので、真っ直ぐ突き進む人には憧れる。

心底かっこいいと思う漫画を集めてみた。

結果、ほぼ別ジャンルからのセレクトに。

 

ちなみにヒーローモノとか、漢気あふれるとか、そういう格好良さではないです。

 

それと、私の書く解説文は長たらしい上にネタバレ含みます。

 

 

 

 

キーチ

キーチ!! (1) (ビッグコミックス)

キーチ!! (1) (ビッグコミックス)

 

 

両親を目の前で殺された染谷輝一は、たった一人でふらふらと姿を消してしまう。ホームレスの女に誘拐されたあげく捨てられる。山の中で魚や虫を獲ってひとりで生きる4歳児。数ヵ月後に発見されマスコミの寵児となる彼は、誰にも曲げられない強い心を持っていた。

小学生になった輝一。クラスメイトには父親に売春を強要させられる少女がいた。売春相手は大物政治家から同級生の父親まで含まれるという悲劇。警察にもテレビ局にも圧力がかかり、この事実を隠蔽しようとする。輝一は国会議事堂前を占拠して警官を前に発砲。法や秩序ではなく、ただ己の気持ちに真っ当であろうとする小学生の姿がニュース映像として全国に中継され、英雄視されていく。

 

と、ここまでが「キーチ」の物語。何ら解決しない物語は「キーチVS」へと繋がっていく。

ゲスい大人たちを相手取って何があっても決してぶれないキーチの強さに惹かれる。

 

新井英樹の漫画はいつも読者を嫌な気分にさせる。

ヒロインはわざとブスに描くし、出てくるキャラも起こる事件もヘドがでる。

誰かに世の中を変えて欲しいと願う人に希望を持たせておいて、お前がやれと突き放す、どうしようもない無力感と絶望を感じさせてくれる漫画。

 

続編の「キーチVS」では、カリスマ扱いされたり一方でテロリスト扱いされたりすることに嫌気がさして日本国民に宣戦布告。本当にテロリストになって、好きな女ができて気持ちはブレブレになったりしてしまうのだが、

それはまた、別の話。

 

 

 

 

 

愛すべき娘たち

愛すべき娘たち (Jets comics)

愛すべき娘たち (Jets comics)

 

 

ある家庭を中心に、その周りに集まる人々を描いた連作短編。

母は娘に相談もなく、若い男と再婚する。相手は娘より若い元ホスト。騙されているのではと疑った新しい義父の、予想外に良い人柄に戸惑う娘。ずっと側にいると思っていた母を取られたと感じ、居場所をなくした娘は、結婚を決めて家を出ていく

何も倒錯した愛情を描いてるわけでもないし、風変わりな設定があるわけでもない。特別アクの強いキャラがいるわけでもない。ごく普通の人々のよくありそうな話。それでもこの濃密な時間の進み方は何なんだろう。こういう話が書けるのは女性作家特有の感性なんだろうか。

 

特に印象に残ったのは第3話。

「人には分け隔てなく誰にも平等に接しなさい」幼い頃から祖父にそう言い聞かされた莢子(さやこ)は、その言葉通り誰にも優しく微笑むことのできる美しい女性に育った。それは母親からみても出来過ぎていると思えるほど優しく清らかな女性であった。しかし同世代の友人が結婚していく中、自身は結婚に踏み切ることができない。見かねた伯母が見合い話を次々に持ってくる。やがてとても澄んだ瞳をした男性と出会う。惹かれれば惹かれるほど苦しさを感じる莢子。「私、気づいてしまったのよ。誰かを好きになるって、分け隔てるってことでしょう」

 

ほとんどネタバレしてしまったが、最後の結末だけは書かないでおきます。ぜひ読んでみてください。

こういう決断をする人にとても心惹かれます。

 

 

 

 

ヴィンランド・サガ

ヴィンランド・サガ(16) (アフタヌーンKC)

ヴィンランド・サガ(16) (アフタヌーンKC)

 

 

中世の北欧を舞台にしたヴァイキング叙事詩。名作「プラネテス」を経て、この連載が少年誌で始まった時は、こういうエンターテイメント作品も描くんだとちょっと意外に思った。騙された。

寒さの厳しい北の海で豊かな大地や財宝を奪い合うヴァイキング。父の仇の首を狙いながら、共に略奪を繰り返す主人公 トルフィン。やがて掲載誌をマガジンからアフタヌーンに変えて方向転換。当時の奴隷文化にも踏み込んで重ーい展開に。奴隷期を抜けて目が覚めたトルフィンは暴力を捨て、誰もが豊かに暮らせる憧れの大地ヴィンランドを目指す。

対比して描かれるのがノルド人の王となったクヌート。虫も殺せないほど臆病で優しい青年であった彼は、殺し合う荒くれ者たちの中で絶望する。神は弱き者を決して助けてくれはしない。世を統べる者として生まれたことに使命感を感じる若き王。彼はこの世界を変えるために大嫌いだった暴力を使うことを決意する。

 

この二人が14巻で対峙する。長かった。これを描くためにこの作者は長い前置きをここまで描いてきたのだろうか。

目指す世界は同じなのに、逆から入って逆の方向へ抜けていった二人。この先、再び二人が交差する時はくるのだろうか。

正しい方向へ向かうため、自分の信じる道を進む男たちの迷いと決意に惹かれる。まだ完結していないのでこの先の展開に期待。

 

 

 

 

 

レッド / レッド 最後の60日 そして浅間山荘へ

 

正しいと信じたことが間違った方向へ転がると、とんでもない悲劇を生むという話。

これに限っては心惹かれる要素はない。

連合赤軍事件を題材にした漫画。個人名を変えてはいるが、ほぼ事実をなぞって描かれている。セリフも資料からそのまま使ったりしているが、やはり作者 山本直樹の色が濃く出ている気がする。説明的な文章はほとんどなく、事件を知らない読者は置いてかれる感が強い。が、この淡々とした演出がこの漫画の良さであったりもする。

 

1960年代後半、日米安保をきっかけに盛り上がった学生運動も下火になりつつあった。それでも共産主義に傾倒し革命を目指す若者たちは、過激な武力闘争へ。

 

私は世代的にこの事件を知らないが、ちょっと興味があっていくつか関連書籍を読んだことがある。

この漫画の連載が始まったとき、これはあまり期待できないのではないかと思った。当時の学生運動の盛り上がりを知らない世代からすると、革命を志す人たちに共感できる要素が少なすぎると思ったからだ。

どうしても異質なテロリスト集団として映ってしまう。

しかし、読み進めるうちに次第にその違和感がなくなってきた。相変わらず共産主義にこだわる気持ちは理解できないが、当時の若者達が社会に不満を持って、より良くするために命がけで活動していたというのは伝わってくる。

7巻以降、山岳ベースでの壮絶な総括シーンが続く。閉塞した空間の中で、集団を維持するため厳しく律して追い込み、同士を次々に殺していった彼らの中に、もし自分がいたらと考えてしまう。

幹部として指導する立場であった森や永田(作中では「北」と「赤城」)の心にあったのは混じりっけのない「正義」だったのだろうか。建前の「正義」を、集団の中で誰もが否定する勇気がなかったら、こんな惨劇が生まれてしまうのだろうか。

正直読み進めるのがしんどいくらいの鬱展開。けど目が離せないのも事実。

結末がわかっているだけに早く浅間山荘に行って欲しいと思ってしまう。

 

 

 

 

同じ月を見ている

 

号泣。もう震えが止まらない。

初めて読んだのは確か漫画喫茶だった。始発を待つまでの時間つぶしのつもりが、全巻読み終えるまで帰れなくなってしまった。声を殺してボロボロ泣いた。

土田世紀の漫画は直球すぎてあざとさなんか逆に感じない。演出が巧いとか下手とかの問題ではなく、力技でねじ伏せられる。この漫画に出あえて本当に良かった。

 

人の気持ちが読めてしまうドンちゃんと、その幼なじみ 鉄矢とエミ。

ドン臭いドンちゃんはいつも馬鹿にされているが、そんなことは全く意に介さない真っ直ぐな青年。そんなドンに鉄矢はどこか劣等感を感じていた。エミがドンちゃんに惹かれていることを知っていたからだ。

あるとき鉄矢の友人との火遊びがきっかけで、山火事に発展。エミの父親が死んでしまう。鉄矢をかばって罪をかぶってくれたドンちゃんは少年院に。事実を隠してエミと婚約する鉄矢。

 

もう鉄矢の葛藤が苦しくて見ていられない。ひどく人間臭くて汚い鉄矢に対して、聖人のようなドンちゃん。自分の醜さを認めた鉄矢が全てを覚悟してドンを探し追いかける必死の形相は鬼気迫るものがある。

ラストまでドンは非の打ち所のない男で、こんな人間いるわけない。周りの人々がみな影響を受けて立ち直っていく姿を見ていると、自分も心を洗われたような気になってくる。

あー、安っぽい言葉しか出てこない。

 

 

 

 

きりひと讃歌

きりひと讃歌 (1) (小学館文庫)

きりひと讃歌 (1) (小学館文庫)

 

 

人間が獣のように体毛に覆われ、骨格まで変異してしまう謎の奇病、モンモウ病。竜ヶ浦教授は伝染病だと考え、この研究の世界的発表を持って、日本医師会の会長の座を狙っていた。小山内桐人は竜ヶ浦教授に命じられモンモウ病患者の多い犬神沢村へ入るが、自身も病気にかかってしまう。

一方、桐人と一緒に研究をしていた同僚の占部は、南アフリカに飛ばされモンモウ病と非常によく似た症例をみつける。出会ったのはキツネのような顔をしたヘレン・フリーズという修道尼だった。

桐人とヘレン、人間であることを否定され続ける苦悩。竜ヶ浦教授の権力欲のために利用されたことを知り、それに抗おうとする者たち。

 

ヘレンのとった選択が心に残った。

彼女の支えであった占部が自死し、絶望のまま病院に連れ戻される途中、ヘレンは車の中から自分に似た境遇の人たちを見つける。公害()によって不自由な身体を持ちながら、それでもその地を離れることができない人たちの村だった。ヘレンは顔を覆っていたベールをとり、村人たちの世話をしながら生きる道を選ぶ。

「私ずっとここにおります みなさんのお世話をします お金はいりません

 ただひとつだけ……約束してください 私の顔を見てこわがらないで…………

 私人間なのです こわがることはないのですよ」

素顔を晒したヘレンに驚き、石を投げつける村人たち。しかしやがて彼女は受け入れられ、その村になくてはならない存在になっていく。

 

主人公「桐一」は「キリスト」をもじった名前である。

「神!そんなものいるものか すくなくとも犬になりさがった人間を救える神なんか存在するものか」

彼の行動はキリストとはまるで違うが、竜ヶ浦教授の野望を打ち砕き、「犬の先生(ドッグドック)」と慕ってくれる人々の元へ帰っていく。ヘレンと価値観は合わないようだったが、同じように生きる道をみつけた。

 

 

小学館文庫の1巻には養老孟司氏の巻末エッセイが掲載されている。手塚治虫の描く医学界が紋切り型だと書かれている。権力の虜となった竜ヶ浦教授の悪役としての姿はまさしくステレオタイプで、堕ちていく様も実に漫画的である。養老孟司氏は自身が医者であることもあり、桐人と竜ヶ浦の正義と悪に別れた正反対のキャラクターに関して批判的に書いている(医学に携わるものとしての批判)。医者にとって、ヒューマニズムの対象としての患者(桐人から見た患者)と、医学的資料としての患者(竜ヶ浦から見た患者)。本来医者とはこの両面を尊重し葛藤する人間だと。

なるほどもっともな話だと思う。

作者はすでに医者ではなく、漫画家であったのだろう。

手塚治虫が描きたかったのは、権力者の批判ではなく、権力に立ち向かう強い意志を持った者だった。

意志が弱く流されやすい私はそういう人に憧れるのだ。

 

急な打ち切りで続きが気になってしょうがない漫画「度胸星」

先日「セクシーボイスアンドロボ」のエントリーの中で、「未完で終わらせるのがこんなに惜しいと思う作品は他にない」ってなことを書いたんだけど……あった。結構あった。

 

今日はその中でも特に続きが気になる終わり方をした漫画「度胸星」を紹介したい。

 

へうげもの」の作者 山田芳裕の作品。

2000年から2001年にかけてヤングサンデーで連載された。

正確には未完ではなく、打ち切りで唐突な結末ではあるが一応完結している。

 

 

 

1969年のアポロ計画から50余年、「第4惑星への計画(エンターフォー)」を推し進めてきたNASAは、ついに人類を火星に到達させる。宇宙船スキアパレッリの乗組員 スチュアートが火星の地に降り立ったその時、突如地球との通信が途絶える。火星に取り残された4人のクルーを救出するため、アメリカは新たなクルーを募集すべく世界中に呼びかける。日本でトラックのドライバーをしていた三河度胸はクルー候補生に応募し、厳しい選抜試験を切り抜けていく。

 

この序盤の火星で起こった事故の原因となった謎の物体 テセラック。火星に唯一残された宇宙飛行士 スチュアートが命名したもので、彼の目の前で仲間のクルーが乗った着陸船も、軌道上に浮かぶ母船もあっという間に破壊している。

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この描写を見て、最初は作画がおかしいと思った。スチュアートの目の前でゆっくりと垂直に上昇したテセラックが、なぜか遠くに浮かぶ母船をブチッと潰している。遠近感をちゃんと表現できていないんじゃないかと。この作者は遠近感を大胆に強調して描くのが特徴で、「デカスロン」でも独特の作画を見せていたので、その傾向がここでは裏目に出たんじゃないかなと思っていたのだ。読み進めるうちにそれが誤解だと分かって感嘆させられた。

 

テセラックを見て最初にイメージしたのはやはり「2001年宇宙の旅」のモノリスだ。

この映画に登場した漆黒の石版のような謎の物体は、地球創世記から時代や空間を越えて現れ、人類を導く存在として描かれていた。作者のやりたかったことはこういうことなんだろうか。

中途半端に打ち切りになってしまった今となってはわからないが、モノリスと違うのは、テセラックは明らかに意志を持っているということ。母船を破壊したり、時にはスチュアートを助けたり。スチュアートの働きかけに対して明確なリアクションがあるわけではないが、気まぐれで思わせぶりな態度は、人間より遥かに高い次元の「生物」あるいは「生物がコントロールしている何か」のようだ。

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上の写真の状態から折りたたまれたテセラック(3次元では立体を折りたたむのは不可能)

 

tesseract」の意味を調べると「立方体の4次元の相似形」(weblio)だそう。作中でも描かれているが、我々3次元の人間に視認できるのがあの二重になった四角い箱のような形の部分だけ。

ちょっと頑張ってお勉強。

もし仮に2次元に住む人間がいるとしたら、その人には3次元の立方体を見ることはできない。見えるのは2次元に触れた面の部分だけか、あるいは投影された姿だけである。同じように、我々3次元の人間が4次元のものを目で見ることができるのは接触している一部分だけか、投影されたものだけ。で、あの形は、4次元の立方体を3次元に投影したなのだ。

という理解でよろしいのかな。

(ちなみに4次元立方体の理解にはこちらがとてもわかりやすかった。http://d.hatena.ne.jp/Zellij/20121201/p1

 

あれ?

漫画の中で、スチュアートが見たテセラックは白いモノと黒いモノ、二つだったよな。黒い方は実体がなく、すり抜けることができた。スチュアートは「黒い方は影」だと言っている。

ん?白い方は影じゃないの?

ただ単に私の4次元の理解が間違っているんだろうか。

きっと作者はこの漫画を描くためにかなり調べただろうし、詳しい人に取材したりもしたはずだと思うんだが。これを作者が意図して描いていたとしたら、もし連載が続いていたら、このへんの謎がきちんと解明されていたら。もしかして3次元の生物が4次元の物体に見せかけるために仕掛けたものだっていう可能性があったのか?ああ、続きが気になる。

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白い方は物体の一部なの?全体の姿が投影された形じゃないの?

 

もうちょっと頑張って調べてみようかな。

重要なキャラとなる予感が満載だった坂井輪夫妻。ともに物理学者で、揃って火星へのクルー候補生として最終選抜まで残っていた。もし連載が続いていたら、火星に旅だった度胸たちと通信してテセラックの謎を解明する手助けをするはずだったのだろう。その坂井輪夫妻の研究テーマだったのが「超ひも理論」。

超ひも理論」とは10次元でほにゃらら。

だ、だめだ、手に負えない。

 

 

 

 

話は変わるが、宇宙に憧れを持っている人で漫画好きは、きっと「宇宙兄弟」も読んでいるだろう。この漫画には宇宙飛行士 野口聡一氏の有名な2次元アリと3次元アリの話が引用されている。広い視野と柔軟な発想を持った者が、次元を引き上げるという話。「宇宙兄弟」は主人公がこの話を聞いて感銘を受けるという現実的な描写だったが、「度胸星」はファンタジックな要素を加えて、まさに次元を引き上げる者を描こうとした漫画だった。

 

物語上、テセラックの存在を伝えようとしたスチュアートの記録は地球まで届かない。新たに火星まできた筑前たち救出ミッションのクルーも、火星到着直後、地球との通信がとれない状態になってしまう。主人公 三河度胸は彼らを救うため、ロシアの宇宙船で火星に向けて飛び立つのだった。

ここで終わりいいいいいいいいい?

嘘でしょおおおおおおおお?

これプロローグでしょ?

 

SF漫画は数あれど、これだけ緻密に構成されて、NASDA(現JAXA)にもしっかり取材して、魅力的なキャラも、過酷な選抜試験を乗り越える見事なプロットも、文句のつけようのないほど面白いのに。これホントに当時人気なかったんですか?この漫画のファンは宇宙兄弟が大ヒットしたときに皆思ったはずなんだ。

度胸星」のほうが面白いのに!

 

 

 

どうでもいいけど、この二つの漫画でJAXAの閉鎖環境での適応検査はすっかり知れ渡ったと思うんだよね。特に宇宙大好きな人にはもれなく。今後、選抜試験やるときはどうするんだろうか。